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 京都発祥のそば料理に「にしんそば」と云うのがある。
長時間煮込んだ大きな身欠きにしんを具にした汁そばである。
 このにしんそば、発祥の店は京都四条大橋の東詰にある「MB」という店である。
一度訪ねてみたいと思っていたが、やっと実現した。
 京阪電車の四条駅、今は「祇園四条」と云う駅に降り立った。
地下駅である。
地上に上がると、そこは四条大橋、大橋の反対側に八坂神社の赤い鳥居も見える。
 歌舞伎の顔見世で有名な南座もすぐ近くである。
この南座の横には歌舞伎発祥の地、出雲の阿国の石碑もある。
 南座に並ぶように「MB」の本店がある。
ここでもいいのだが、ここは発祥ではない。
 かつては南座の北側に北座と云うのがあった。
実は江戸時代にはこの四条大橋周辺には7つの歌舞伎興行の劇場があった。
明治になって、北座と南座以外は廃止され、取り壊された。
そして北座も明治26年に取り壊され、南座だけが残っているのである。
 北座の跡は現在、ある八ッ橋の本店がビルを建てて、北座と銘打って営業を行っている。
 江戸時代末期に「MB」という店が北座の隣で芝居茶屋の店として創業された。
そして明治の15年に2代目松野与三吉氏によってにしんそばが考案され、メニューに載せた。
 その背景はこうである。
海の幸に恵まれない京の人々の常食は塩干魚中心であった。
なかでも身欠きにしんは保存食であり、大切なタンパク源であったと云われる。
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 このにしんとそばを合わせたのが2代目であった。
20時間もの手間を掛けたにしんの棒煮とそば粉の織り成す味を作り出したのであった。
 このにしんそば、歌舞伎見物客の支持を得て、たちまちに京の町に広がり、京のにしんそばと云われるようになったのである。
 新しく建てられた「北座」の隣に、「MB」の北店がある。
ここを訪れて、にしんそばを賞味することにした。
 小上がり座敷、テーブル、カウンター、すべて備えた綺麗な店である。
白木造りである。
この日は、客は僅少であった。
店のスタッフの方がはるかに多かった。
 にしんそばを注文して、待つこと5分ぐらいか?
出てきた。
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 薬味葱が小皿で添えられている。関東では良く見かけるが、関西では珍しい。
 にしんが少しだけそば麺の間から覗いている。
写真で良く見るのは、にしん全体がそば麺の上に乗っているが、元祖の盛り付けはそうではないらしい。
にしんの旨みを出汁やそば麺に浸み渡らせるためにそうしているということである。
 先ず、にしんの大きさを見て見た。
結構大振りである。長さは蕎麦の器よりはみ出る大きさである。
箸で摘まむと崩れた。
 柔らかく脆い。
かなりの長時間煮ているということが頷ける。
 出汁も麺も大変美味しい。
 蕎麦では関西一であろうかと思われる程である。
かけそばだけでもいけるのではと思われる。
しかしこの味は、にしんとの織り成す味であるので、かけだけでは無理かも知れない。
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 にしんを食べてみた。正直なところ好きな味ではない。
しかし、そんなに抵抗感もない。
最後まで、美味しく頂けたのであった。
 さて、北店に行ったのにはもう一つ理由がある。
先ほどの南座の顔見世であるが、祇園花街の芸舞妓さんたちが、集団で見物する日がある。
「花街総見」という。
この時に芸舞妓さんたちは、このお店に来て食事をするのが恒例になっている。
 その食事場所を一度見てみたかったということもあった。
 ワイワイガヤガヤ言いながら、楽しく食事をするのであろうか?
しかしそれは、その場面を見てみない限りわからない。