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 まだ世の中に「食酢」という調味料が無かった鎌倉時代末期のことである。
 東から下って来る山陽道が備前の吉井川にぶつかり、暫く川に沿って南下した後、福岡の渡しから船で向こう岸の本陣や旅籠があった宿場町「一日市(ひといち)」へと渡る。
 その福岡の渡しには一軒のめし屋があり、船頭たちのために毎日「炊き込み飯」を用意していた。
ある日、武士がめし屋にやってきて酒を所望した。
当時は酒と云っても清酒では無く「どぶろく」である。
 出された酒を一口飲んだ武士は、
「こんな不味いものが飲めるか!」
と怒り、その酒を炊き込み飯の釜の中にぶちまけて店を出て行ったのであった。
「何をなさるんですか! お客人!」
と店の女将は言ったものの、相手は武士、追っかけたりすると斬り殺されかねない。
 女将はそのまずいと云われたどぶろくを甕から汲んで飲んでみた。
確かに飲めるようなものではない。
酸っぱいだけの液体であったのである。
 それはそれとして、釜の中の炊き込み飯である。
「もうダメだろう?」
と諦めの境地で口にしてみた。
酢の効いた炊き込み飯になっていたのである。
 そこに船頭たちがやってきた。
「オゥ女将、腹が減ったわい! いつもの食わせてもらおうか!」
と口々に炊き込み飯を所望した。
 この女将、度胸は据わっている。
「今日はまだ飯の用意ができておりませぬ」
とは言わない。
「今日の飯は少し趣向を凝らしておりまする。お口に合えばよろしうございまするが…」
と先ほどのどぶろく飯を出したのであった。
「ホゥ、いつもと違うノゥ…。女将! これは美味いぞ!」
と絶賛されたのであった。
「どぶろくめし」なまって「どどめせ」が誕生した瞬間である。
以来この渡し場のめし屋では、名物「どどめせ」がメニューに加えられたのである。
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 この「どどめせ」を味わって見ようと、JR赤穂線長船駅で途中下車した。
長船駅から吉井川堤防道路にある「どどめせ」の店までは2km程の距離がある。
タクシーでもいいのだがそれは途中下車の精神に反する。
歩く覚悟を決めた時、駅前の自転車預かり所の横にレンタサイクルの看板を見つけた。
 店のドアを開けて、誰かいるかな? と期待して呼びかけてみた。
旨い具合に女主人らしい方が出て来てくれた。
「自転車貸してください。カバンも預かって貰えますか?」
「いいですよ。名前と住所、連絡先をここに書いて下さい」
そして吉井川土手までの経路を教えてもらい、料金300円を納め、何年かぶりの自転車に乗ったのであった。
 ヨタヨタと駅の直近の住宅団地街を通り抜けると、田圃の中の一本道である。
あまり広くはない。
車が後ろから攻めて来たりする。
多少の不安を抱きながら先の集落目指して進む。
 この集落は備前福岡である。
平安時代から山陽道の要衝として栄えてきたところである。
後程、探索してみよう。
 やっとの思いで堤防道路に出た。
河川敷ゴルフ場が眼下に広がっている。
その先に福岡城の丘が見える。
これも後程訪れてみよう。
 目指す「IMJうどん」という店を見つけた。
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 先ずはどどめしを頼もうとレジのお姉さんの所へ行って見た。
「どどめせおねがいしま~す」
「うちはセルフです。あそこの棚に置いてあるのを持ってきて下さいね」
セルフのうどん屋さんであった。
棚にどどめせも置かれている。
 セルフの掟に従いトレーを持って、どどめせの所へ行った。
内径12~3cmの丸い器である。
「ちょっと少ないなあ…」
と隣にあったうどんの入ったうどん鉢もトレーに乗せた。
うどんは自分で湯通しするのが岡山流である。
そして会計を済ませ、テーブルに着いたのであった。
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 どどめせは普通の炊き込みご飯に酢を合わせ、トッピングに錦糸卵、きぬさや、里芋、海老、そして煮穴子などが乗っている。
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 先ずはどどめせを味わって見よう。
 能書き通り、炊き込み飯に酢を合わせた味そのものである。
白い酢飯はにぎり寿司やちらし寿司で良く食べるが、かやく飯の酢飯は初体験である。
あまり酢を好まない小生としては、本音を云うと何とも微妙な味であった。
 うどん麺は少し褐色がかった麺で、トッピングの葱と鰹節はフリーである。
西大寺付近で栽培されている「しらさぎ小麦」を麺にしているとのこと。
うどんは腰は感じられないが小麦の味が嬉しい。
このうどんは旨いなあと感じた次第であった。
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 席は8割方埋まっている。
地元の方が多いようで、皆慣れた風でうどんを食べている。
地元でも人気のうどんなのであろう。
 満腹になった所で、さあ福岡の街の探索に出かけよう。