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 京都の北野天満宮の一の鳥居前の今出川通りを南へ渡った御前通りの右側に「Tや」という京町屋で店を開いているうどん屋がある。
有名な「一本うどん」をメニューにしているとのことで興味津々、天満宮にお参りした折に寄ってみた。 この店の売れ筋は「一本うどん」とのことで、そのうどんは早めに行かないと売り切れるとか、予約しておかないと茹でるのに時間が掛かるとか、あれこれ云われているのでダメ元の精神で暖簾を潜ってみた。

 昼にはまだ早い時間であった。
席は空いていた。
丁寧に応対してくれる店員嬢は好感である。
 メニューの中からの選択は、勿論迷わずに一本うどんの「Tやうどん」である。
売り切れですとも、長時間の待ちになりますよとも云われずに注文はすんなりと通った。
 出てくる時間も早かった。
予め写真を見ていたので驚きは少ないが、実際に対面すると、うどん鉢の中の光景には予想以上の感動があった。
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 満タンの澄んだ出汁に1cm以上の太さはあるであろう白いうどんが巻かれるように入っている。
そして小鉢におろし生姜が盛られている。
生姜を具にして食べるのであろう。
 まず出汁を味わって見る。
やはり京の出汁である。
利尻昆布と鰹節主体の出汁である。
大阪の真昆布と比べての違いは良くは分からないが、しっかりした濃いめの京の出汁が出ている。
 普段うどんに生姜は好まないが、ここは生姜しか具は無い。
出汁に溶かして早速うどんを味わったのであった。
 この「Tや」は江戸時代享保の頃から天満宮の門前で商売をしている老舗だそうである。
途中、商売が上手く行かず、長い休業もあったそうであるが、見事復活していることに敬意を表する。
 調べてみると、江戸は深川浄心寺の門前にもうどん屋があり、ここでは一本うどんだけを売っているとのことである。
このうどんの写真は、白い太いものが一本、鍋に入れられ温められ、つけ麺で食べるようなものである。
鬼平犯科帳にも登場するとのことである。
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 生姜入り出汁の一本うどんで満腹となったので、折角の機会であるので付近を探索してみることにする。
 御前通りを少し下がると京の一条通と交差する。
 この一条通りは大将軍商店街という看板が掲げられた商店街となっている。
この商店街を通り、大将軍まで行ってみることにする。
 大将軍商店街は百鬼夜行・妖怪ストリートとして知られている。
見たことはないが、そのイベントもあるそうである。
 余談であるが、そう云えば一条通り、東の終点には吉田神社があり、節分の鬼退治で知られている。
また御所近くの廬山寺にも同様に節分には鬼法楽がありこれも良く知られている。
中ほどの堀川には「一条戻り橋」と云う橋があり、鬼が棲んでいたという伝説や陰陽師    安倍晴明を祀る晴明神社がある。
 そして西の終点のこの大将軍には鬼妖怪に関係している伝説がある。
一条通は通りは鬼・妖怪が行脚していた通りであったのである。
都の北端であったのでそれはそれで頷けるが…。
 この一条通と一本うどん、「一」繋がりがあるのかも知れない。
 大将軍八(たいしょうぐんはち)神社は商店街を抜けた北側にあった。
大将軍とは陰陽道に云う星神天大将軍で、天文、方位を司る神であり、方除け、厄除けの神様と云われている。
この神社、元々は平安建都の時に都城の方除守護神として当初は大将軍堂として祀られたと云われている。
 このような神であるので、代々の権力者たちも崇敬したと云われる。
そして江戸時代には大将軍社、更に大将軍八神社と改められ現在に至っている。
 宮司さんに話を伺うと、この神社には平安中期から末期にかけて造られた神像百余体が安置されていて、そのうち80体は重要文化財に指定されているとのことであった。
 菅原道真公の怒り祟りを鎮めるための北野天満宮、そして同時期に彫られた都城守護のための百体の神像、そしてその周りに行脚する鬼妖怪達。
 しかしその反動からか戦国末期には、この地で秀吉の肝入りで大茶会が催され、それを契機に七軒の茶屋ができ、その茶屋を中心に花街ができ、上七軒の歌舞練場ができ、飲食店もでき、そして賑わうようになった。
 その隆盛が今に至っている北野を感じた次第である。