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 大阪・奈良を結ぶ近鉄電車の駅に「河内小阪」という駅がある。
この小阪の駅近の大学に所用があって出かけた。
折角行ったのだから、その用が済んだあとに付近を散策して見た。

もう三十数年も前のこと、同じ職場に、小阪に住んでいる先輩がいた。
四方山話の中で、
「司馬遼太郎の近所に住んでるよ。たまに散歩してる姿を見かける。司馬遼太郎の小説はおもしろいよ、読んでみたら」
と、良く話していた。

そのきっかけで、司馬さんの本を読むようになった。
国盗り物語からのスタートである。
かなりの数を読み、歴史を分かったつもりにはなった。

「そうだ、司馬遼太郎記念館へ行ってみよう。」
駅にあった案内板を頼りに、早速歩きだした。
司馬氏の私宅と、庭の一部に記念館が建っているらしい。

住宅街を探すが、なかなか見つからない。
同じような路地ばかりなので、通り毎、順番に見ていくしかない。

やっと見つかった。
門前に係員らしき人が見えたので、そこかな? と思って行ったら当りだった。

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入場券を買って入ってみた。
司馬氏の私宅をガラス越しに見ることができる。
大きな書斎である。
大作家となればこのような書斎で、庭の四季を眺めながら書くのかと感服した。
奥のドアが開いて、今にも司馬さんが出てきそうな、そんなリアルな書斎である。

私宅と庭つながりで、記念館がある。
コンクリート打ちっぱなしの建築である。一目で安藤忠雄氏の設計と分かる。
一階と地下一階しかない、低い建物である。
住宅街であるので、周囲の景観に配慮したのであろう。
司馬さんらしい。

地下一階には、大書庫があった。
2万冊以上の本が綺麗に整列して並べられている。
司馬氏の資料本と著作本である。
あれだけのものを書くのには、これだけの資料がいるんだと、またまた感銘した次第である。

司馬氏の取材ノートなども置いてあって、ふんふんと見てきた。

司馬記念館を後にして、付近を散策した。
付近には、いくつかの歴史に係わるものがあった。

「小坂神社」という古い神社があった。「さか」の表記は「坂」である。

そういえば、大阪も戦国時代以前は大坂と言っていたな…。
少し、調べて見よう…。

 戦国の時代には、大阪には二つの「をさか」があったと云う。

まずは、大きいほうの小坂から…。

今の大阪城のあたりから天王寺の辺りまでの上町台地、小坂と呼ばれていた。
台地だから、ちょっとした坂が一杯あったので、そう呼んでいたと思われる。

蓮如上人が石山本願寺を、今の大阪城の地に建てた時、大きく発展するようにと縁起を担いで、文字を小坂から大坂に変え、皆もそう呼ぶようになったと云われている。

江戸時代には、大坂は商業や町人文化で発展したが、やはり江戸中心であることに変わりなく、江戸後期には衰退してきた。

坂の字は、土に返ると言うことから、都市が消滅すると云うことに繋がり、不吉と云うことから、坂を発展の意味を持つ、阪に変えて書くようになり、正式には、明治になって大阪となった。
これが今の大阪の由来である。

もう一つの、小阪駅の小坂はどうか?
大阪城と東の生駒山との丁度中間あたり、河内平野の真中にある。小坂村と呼ばれていた。

小坂とは、河内一帯は低湿地であったが、この付近は、ちょっとした丘状の地形になっていたのか、洪水被害も無いことから、そう名付けられた。

そして大坂が大阪となった時、小坂も小阪となった。

ただ一つならなかったのは、小坂神社だそうである。
農耕の神を祀る神社だから、土を返す、つまり”耕す”ということで、現在も小坂神社のままで良いのだそうである。

探検した小阪駅の近くには、マンモスの近畿大学を始め、3つの大学がある。司馬遼太郎もいる。
何やら盛り沢山で、文化の香りのする所であった。

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