いよいよ9月末の上期決算の締めが迫り、ラストスパートが掛かっている竹上電機東京支店営業課、祭日明けの日であるが、早く終わった者からいつもの居酒屋藤屋へ集合することになっている。

上司が遅くまで仕事をしていると、部下は帰りにくいのが常である。
先に帰ってくれると、用の無い者を筆頭に、皆帰り易い。

課長が毎日「帰るぞ!」と早々に、帰るわけにもいかないので、たまには「行くぞ!」と声かけて、退社することにしている。
これは早く帰れというサインでもある。

もっと云えば、トロトロ残業してもその効果は少ない。
それよりも昼間の効率を上げろと云っているのである。

「行くぞ!」で誰も返事が無い場合は、課長はそのまま家へ帰ってしまう。
「はあ~い」とか「追っかけます」とかがあると、その日はミニ飲み会となる。

こういうときのメンバーは課長に加え、付き合いの良い横田主任、そしてあと1~2名で至って少人数である。

鈴木課長はビールを片手にカウンターで待っていた。
揃ったところで、小上がり座敷に移動することになっている。

カウンターでテレビを見ていた。
丁度イブニングニュースの時間である。
神戸の女の子の行方不明事件が報道されていて、なんでも、小学校に近いマンション近くの雑木林で遺体らしきものが発見されたとのことである。
遺体はポリ袋に入れられ捨てられていたとの惨い話である。
その遺体は行方不明事件の被害者の女の子に確定し、近所に住む犯人も逮捕されたと云っている。
この事件、小さい子を持つ親御さん達の心配が一層大きくなった事件であることは間違いない。
そして、子供を対象にした弱い者いじめの事件でもある。
このようなことは、絶対に止めて欲しいものである。
テレビはそこまでは主張しないが、見ている人の気持ちはそうであろう。

「襲うなら自分より強い者を襲え!」
課長もそう思いながらテレビに見入っていた。
丁度そのタイミングで「お待たせしました」と3人連れが入ってきた。

「おう、早かったな。よし呑もう!」
と、小上がり座敷に移動した。
まずビールで乾杯である。
もう少し秋が深まると熱燗でとなるのであろうが、まだまだビールが美味しい季節である。
蛸ワサ、たたみ鰯、ソラマメを肴に飲み始めたのであった。

「この休みにな…。讃岐うどんを食べに家族で行ったんだ。香川の『M製麺』と云うのが家の近くにできてね…。丸亀市からの出店だろうと、本場を食べに行ったんだ」
「へ~ェ。そりゃ良かったですね…。ところで、美味しかったんですか?」
「そりゃMだから、本場の味だよ。水や空気が違うからその分を割り引くと、まあ合格の範囲かな…」

「それは、それは…。本場が食べられるとはね…」
「香川のうどん店も手広く商売し出したもんだ。食通には嬉しい限りだけど…」

「課長、お言葉ですが…」
これは横田主任である。
「上手い拙いは個人の好みで何とも言えませんが、香川からの進出とは、ちょっと違うんじゃないかと思いますが…」

「M製麺だろう? 香川県の丸亀から来たんじゃ無いの?」
「無いんです。私も最初、騙されました」

「何? 本場じゃないのか? じゃあどこの出なんだ?」
「良く聞いてくれました。本社は神戸なんです。TDRと云う焼き鳥主体のチェーン店の事業挽回策ですね…。鳥インフルが流行った時、売り上げが落ち込みました。それじゃ行かんと多角経営を狙ったんでしょうね…。讃岐うどんに目を付けて、郊外型のいかにもそれらしい店を作ったんです。製麺機なんかは香川製のを入れているそうですけどね…」
「神戸の店か? 神戸って輸入が上手だからな…。外のものを自分の物にしてしまう」

「今ですね…。この手のうどん店、M製麺が全国一の店舗数を誇り、千店以上もあるんです。最近まで香川は唯一の空白県だったんですが、最近、店を出したと聞きました。各都道府県に一つ以上の店がありますしね…。全国制覇です。そうなるまでは『Hまる』という店がトップだったんですが…」
「聞いたことある店だな。行ったことあるかも知れん…」

「Hまるはですね。香川発の店だったんです。外食チェーンの店の例の牛丼の『YN家』の傘下に入りましてね…、本社も香川を引き払ったんです。本社はわが社の近くにありますよ。ここが全国第2位ですね…。但し、出身の香川には沢山の店はありますけど…。全国展開をし出してから、あの真面目な讃岐うどんでは無くなったと云われてますけどね…。

実は面白い話がありまして…、
HまるがYN家の傘下に入った時期と、YN家が香川に進出した時期が良く似ているんですね…。
もちろん何かありそうですが、それ以上は調べてません」

「讃岐うどんの店って、結構あるような気がするなぁ…。それこそ香川の店が直接出て来てるか、暖簾分けで進出して来たかは別として、 香川からの店も多いとは思うけどな…」
「それは有りますよ。単一の店舗でね。しかし、現地とは水や空気は違います。本場の元の味に近づけるようと、懸命に努力はしているようですけど…」

「だろうね…、うどんは生き物だからな…。いかに本場の味を出すかが課題だね…」

「他のジャンルでは、例えばフランス料理とかイタリアとか中華とかでは、輸入物って分かってるから、せいぜいシェフがフランスで修行した位がその店のステータスですね。そして本場の味と云うのはあって無いようなものだから、その土地に合った、そして客の舌に合った、店独自の美味しい料理を追及していますね…。
しかし讃岐うどんと銘打つならそうは行きません。美味しいものは現地にしかないというのが、よくわかってますからね…。店舗に現地から来たという紛らわしい名前を付ける作戦ですね…。商売としては常道なんでしょうが、それでいいんでしょうかね? 知らずに食べる客を騙していることになりかねないです。疑問が残りますね…」
「たかがうどん、しかし、されどうどん…だな」

「これを契機に讃岐の方に行って本当の本場のうどんを食べようという気運が盛り上がればいいですけど…。まずいものを食わされて、イメージダウンになるのを恐れています。それで、讃岐の麺の組合ではブランドを守るために商標登録したりして、本腰を入れているという話が聞こえて来ますね」

「良く分かった。頑張れ讃岐のうどんだな。讃岐まではなかなか行けないからな…。偽物は偽物と覚悟して讃岐うどん風を味わおう…」