竹上電機は大阪本社の会社であるが、この下期の期初に限って、支店のある東京地区にて下期経営方針発表会が開催される。
発表会は10月の第2土曜日と決められている。
休日返上で全国から幹部と社員代表が集まってきた。
東京開催は、政治経済の中心地である東京を幹部社員や一般社員達に、たまには見てもらおうとの意図も含まれている。

経営方針は社長が発表するのだが、内容は毎年お決まりで市場概況の変化と会社の方針である。
市場の概況は年々変わるが、方針は何も変わらない。

企業である限り、売上達成、利益確保、経費の削減が使命なので、それを強調して、後は環境保護とか企業倫理などを付け加えて、講話は終りとなる。
そして最後は万歳三唱でお開きとなる。

この日は全国から社員が集まって来ているので、出先との交流や転勤者との旧交を温めるまたとない機会ともなっている。

東京支店営業課、方針発表会が終わるのを待ちかね、4月に関西に転勤になった橘君を誘って、例の居酒屋「藤屋」へ急行したのであった。

「橘君、関西の生活はどうだ? 面白い飲み屋でも見つけたか?」
呑むことにしか関心ない鈴木課長である。
そう言ってしまえば身も蓋もないが、課長は社員同士の融和が成績を上げるとの信念の下、呑み会に誘うのである。

「いやね課長…。安く呑めるところが一杯ありましてね…。財布に優しいと云うんでしょうか? 量が増えると云うんでしょうか? まだまだ、開拓中なんですけどね…」
「そうか、それは良かったな。呑むことが明日への活力だからな…」

「呑むのはいいんですが、ちょっと財布に優しくない事情がありましてね」
「何だね?競馬で負けが込んで来たとか…?」
「いやいや、そんなんじゃないんです。急にモノいりになりましてね」

「何だね? もったいぶらないで、言ったらどうだ」
「いやあ、電気製品なんですよ。電気ストーブやらドライヤーやら持って行ったんですが、ファンの回転が速すぎるんです。煩いし、変に熱くなってくるし、危ないと思って、使うの止めました。電気に詳しい人に聞いてみると、『それは危ないですね。買い換えた方がいいですよ』と、言われたんですよ。何か、関東と関西では電気の周波数が違うので、使えないということなんですね」

「そんなことか…。俺も経験ある。しかしそんなもんじゃないぞ。当時、結婚したてでね…。新居、家財道具が揃ったところで転勤の辞令が出た。社宅を用意してくれると云うから、新居はそのままにして、あちらで必要なものは持って行った。 冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、…、電気製品一式だ。動かしてみると、なんだかおかしい。モーターを使っているものは、皆大きな音がする。電子レンジなんかは直ぐに中身が焦げる。電気に詳しい奴に聞いてみたんだ。すると『それはダメですよ。電気の周波数が違うから使えないんですよ。壊れないうちに家に送り返して、新規購入ですね』と冷たく言い放たれたんだ。」
(注)ファン・モーターなどは回転数・トルクなどが周波数に比例するためである。

「へえ~。そんなことあったんですね。聞くと、50/60の切り替えができるものはオーケーだそうですが…」
「今は、切り替えできるモノが増えてきているがね…。当時はなかった。蛍光灯スタンドなんかも、結局、点灯不安定で、買い直した。家電製品一式、新調だ」

「こんな狭い国で、なんでそんなことになってるんでしょうね…」

「何やら、面白そうな話ですね…」
今まで、呑みに徹していた横田主任、得意分野になると急に喋り出す。
「周波数問題ですね…。東日本大震災でも問題になりましたね。西から東への電気の融通は僅かしかできない現状があるってね。1100万KWも不足してるのに、100万KWしか融通できないってね」
「あったあった。現実はそうなってしまっているんだ。何で、そうなったんだ?」
「それはですね、課長…。まあ皆さんも聞いて下さい。古くは明治の殖産興業の時期まで遡るんですよ」
横田主任の得意分野である。

「明治の近代化で、電気の必要性が叫ばれていました。電気のあかりを灯そうってね。東京に東京電燈と云う会社ができたんです。そして、直流発電を行ない、供給を開始しました。直流ですから電池と同じです。周波数はありません」
そして続く。

「東京にならって、大阪に大阪電燈と云う会社もできました。大阪はもともと交流の方が送電効率がいいと考えていたんですね。この2社間で論争が起きたのですね。『直流か交流か?』。欧米の趨勢を見ると、みな交流発電を行っている。またたく間に交流と云うことに決したんですが、面子に係わる東京電燈、交流発電機をドイツから直ぐ購入したんです。大阪は既にアメリカと交渉していたので、半年遅れで発電機をアメリカから購入したんです。明治20年ごろの話です」
ここまで一気に喋った横田主任、ビールを一口、喉を潤し、更に喋る。

「ドイツのは50ヘルツ、アメリカのは60ヘルツ。それで、配電のネットワークも構築してしまったんです。もちろん周波数を合わそうという話もありました。しかしこの2社、犬猿の仲か、互いに譲らず…でした。当初の電気製品と云えば、電灯だけ…。あかりを灯すだけなら、どちらでも問題は無かったのです。そして昭和の初期ぐらいまでは、周波数を意識しないで良かったんです。当時の政府もそこまで頭が回って無かったので、企業の好き放題で進んだのです。そして、どんどん地域拡大して、東日本は50ヘルツ、西日本は60ヘルツになってしまったのです」
「ほうほう、その話聞いたことがあるなあ…。富士川、糸魚川が境界だったかな?」

「それが昭和も進んで、洗濯機や冷蔵庫の家電製品が作られるに及んで、仕向け先毎にモーターを変えなければいけなくなったんです。電気製品のメーカーがすればいいことなんで、これも混乱はあまりなかったんです。周波数を全国統一しようという話はありました。顕著なのは太平洋戦争からの復興の時です。どちらに合わすにしても、合わす方は莫大な金がかかります。到底電力会社は負担できません。もちろん国も金がありません。先送りになって今があるのです。その後、電気製品をどちらにも適合するようにと、メーカー側では50/60ヘルツ対応式を作って、引越なんかに対応するようになりました。50/60の両地域を股に掛けるJRの電車なんかは、両方式対応の技術開発を行いました。こんなことから、日本の技術はより進んだのがメリットぐらいでしょうか?」

「なるほど、わかったわかった。でこれからはどうなんだ?」
「そりゃもう無理でしょう…。莫大なお金がかかります。せめて、震災などに備えて、大容量の変換器を用意するぐらいが関の山だと思いますが…」
「それで全国の災害に備えられるんなら、越したことはないな…」

「盛りあがったところで、ひとつ追加を…」
「何だ、なんだ」
「新幹線ですが、東京から東海道・山陽・九州と全て60ヘルツで動かしてるということです。東北とか上越とかは50ですけどね…」
「だから東西の直通運転ができないのか…。良く分かったよ」

「しかし日本って、電気の生産者は知らぬ顔して、消費者やメーカーにしわ寄せが行くようになってるんだな?」
「だから、財布に優しくないって言ったでしょう…」
「わかったわかった。今日は橘君の財布の慰め会だ。橘君の分は俺が持つ。買い替え需要の一部としてくれ…」