美濃の国の信長支配への移行は、大した障害もなく信長の思い通りに進んだ。
実質の支配は三人衆がそのまま引き継いでやっている。
信長側近たちは、城と城下の修復、新築に力を注げばよかった。

やがて信長の思い通りの城ができあがった。
悠長なことが嫌いな信長は、山上の天守は物見櫓の程度にしておき、稲葉山の麓に大層大きな信長の居館を建てたのであった。
政務は全て、その居館で行われた。

半兵衛はこのような平和な時には何も用がないので、居城岩田城に戻っていた。

ある日、信長からの呼び出しがあった。
何事の相談かと思ったが、久しぶりに信長の顔でも見てこようかと、支度をして数人の伴を連れ、岐阜城下へ向かった。

「半兵衛、そろそろ京へ上ろうかと思うがのゥ…。越前に将軍の弟・義昭が逃げてきておるであろう…。これを将軍にしてやると云うことで連れていこうかと思うてな…」
「それは、良きお考えでござりますな…。と云えば、明智殿を動かされるので…」

「その通りじゃ…。
明智殿に動いてもらえば、義昭も安心するじゃろうて…。早速で、悪いがのゥ…。
越前までひとっ走り行ってくれんかのゥ…」
「お易い御用でござる…。早速明日にでも…」

「今すぐじゃ。時は金なりじゃ…」
「面白いことを申されるのゥ…。時(土岐)を粗末にするは、天下も危うい、ですな。早速、出かけて参ろうぞ…」

「それからもう一つな…。藤吉郎のことじゃ…。あやつは要領も良く、すばしこくて役には立つが、考えが浅くて困っておる。どうじゃ、暫くはあいつの知恵になってやってくれんかのゥ? 岐阜盗り仲間の縁でのゥ…」
「ほうゥ…。木下殿のな…。わかり申した。そのようにして参ろうぞ…」

半兵衛は早速、越前へ行った。
光秀に義昭上洛の話を伝えた。
「それは、義昭殿にとっては、またとない吉報であるのゥ…。わかり申した。いつでも出立できるようにしておこうぞ」
光秀も乗り気となった。

次の年、信長は京へ向かった。
問題は南近江の通過である。六角一族が抑えている。
信長に臣従してくれればいいが、
「この成り上がり者め!!」
と六角にもプライドがある。
戦になってしまったが、止むを得ない。

しかし、信長には勢いがあった。
敵を散々に破り、都に入って義昭を将軍職に就けたのであった。

そして京を抑えていた三好一族を蹴散らし、畿内一円は信長が支配することになったのである。

半兵衛はと云うと、政治、まつりごとは得意ではないし、興味もない。
秀吉の軍中にて、あれやこれやと作戦を授ける日々が続いたのであった。

信長の越前朝倉への進撃の時、予想もしなかった義理の弟・浅井長政の裏切りがあった。
これは逃げるが勝ちである。
信長軍のしんがりには秀吉が命じられた。
敵の戦闘意欲を削ぎながらの退却である。

逃げると見せかけて襲う。襲ってはその場所に布陣する。
相手が引いた隙を見て、こちらも逃げる。
その繰り返しであった。
俗にいう金ヶ崎口の戦いである。

その後、北近江浅井、援軍の朝倉を攻めた。
姉川の戦である。
半兵衛は信長軍だけではこの戦いは勝利おぼつかなしと判断していた。
西美濃三人衆、弟重矩にも出馬させた。
そして後詰に家康にも布陣してもらった。
2度続けて負ける分けにはいかない。
折角築いた信長への信頼が落ちる。
万全を期したのであった。

しかし、面白いもので応援の衆の方が血気盛んであった。
前線で果敢に戦ったのは応援隊の方であった。
そうなれば、信長軍の方が何ほどか強い。浅井軍は何人かの重臣を失い、ほうほうの体で小谷城へ逃げ帰ったのであった。

戦になると半兵衛は水を得た魚のように動き回った。

それから10年弱、信長の東奔西走の戦いに秀吉軍も激戦・激務をこなした。
秀吉軍と一緒に走り続けた半兵衛、その疲れと、元々体が弱かったのであろう、
時々は寝込むようになってしまったのであった。

「半兵衛殿、こ度はご苦労であった。おかげで助かったわい。礼を申すぞ…。お身も大変じゃったのゥ…。ゆっくり休んでくりゃれ」
秀吉は戦の終わった後で、いつもこう言うが、休む間もなく次の戦地へ出かけるのが常であった。

半兵衛は一切の泣き言は言わない。
それは、この秀吉こそが信長を天下に押し上げる武将であろうと確信を持っていたからである。
日々、辛い体に鞭打って、秀吉と共にして来たのであった。

安土城を完成させ、家督を子の信忠に譲った信長は、まだ一段落とはいかない。
引き続き各地を転戦した。

石山本願寺との戦いで、本願寺に味方する毛利にはほとほと手を焼いた信長、秀吉に西国の毛利征伐を命じたのであった。

半兵衛と秀吉、ここからは腰を据えて播州、備州攻め、毛利攻めに向かうことになったのである。

信長軍が来るとの話を聞いた播磨国主で御着城主、小寺政職(まさもと)は、信長に臣従するとの回答は既に伝えてはいたが、国境の明石付近に物見を出してその様子を探っていた。

物見からは、秀吉という男を大将に、西へ西へと軍を進めているとの連絡が入って来る。
じっとしてはいられない小寺、配下の姫路城主黒田官兵衛に守りを固めるべく下知をしたのであった。

これが大切である。
相手の武将が不遜な人物であったり、兵たちが不埒は輩であったりすると、領民達の支持は得られない。
最後の最後まで、それを見極めるのが、領主の仕事でもある。

播州御着城内での官兵衛と領主小寺政職(まさもと)、
「分かり申した。早速、出かけることとしようぞ…。が、拙者の兵だけでは人数が少のうござる。お館殿の兵を少しお貸しいただきとうござる。50に50で如何なものでござるかな?」
「合わせて100か? あまりにも少ないのゥ…。この城の150を使ってくれ。都合200でどうじゃ?」

「有り難き幸せでござる。敵は大軍ゆえ、それを破るのは難しかろうが、せめて我が国に、ことが有利に運ぶようにはして参る所存でござる…」
「そうじゃのゥ、官兵衛。お主の才知にはいつも感じ入っておるワ。抜かりなく、やってくれよのゥ…」
「御意、御意。お任せあれ…」

この時代、今でもそうであるが、臣従したり裏切ったりは、常のことであり、それを信用したり、非難したりしていると、その間に足元を掬われたりする。
結局は、その人物に身をゆだねた場合、自分や家系は得するのか損するのかと云う判断が最も大事と云うことになる。

官兵衛と云う男は、半兵衛とは違い、計算高く、すばしっこい輩である。
もっと云えば、動の秀吉と智の半兵衛とを足して2で割ったような武将である。
姫路城主になったばかりであるが、国主政職の信頼は非常に厚かったのである。

官兵衛は次の日、50を連れて、御着城に入り、150の兵と、荷駄隊50、合わせて250の部隊をまとめ、明石の東の須磨浦に向かったのであった。

国境の須磨浦は、六甲山系が海岸までせり出して来ていて、通路としては極めて狭いところである。
行軍中に山から襲われたらひとたまりもない。
秀吉軍はこんな狭いところを通るのかと疑問ではあった。
ここへは来ないかもしれないが、とにかく国境の砦を固めたのであった。

播磨に入るのには、もう一つルートがある。
丹波越えである。
山また山のルートである。
しかし秀吉は戦闘することが目的ではない。
軍をいち早く進めるのが目的である。
信長の威光を通り道々の城主にひけらかし、臣従を固めるのが目的である。
既に半兵衛の幅広い手配にて、懐柔工作は着々と進んでいた。
従って、危険は少ないと見ていたのであった。

しかし、厄介なことも起こっていた。元々信長に臣従していて、毛利攻めの先鋒であった三木城の別所長治が秀吉の不遜な態度にむくれ、毛利方に寝返っていたのである。

御着の小寺もまだどうなるかわからない。
不安はありながらも、半兵衛の洞察力を頼りに秀吉は軍を進めたのであった。

官兵衛は須磨浦の砦ににて秀吉軍を待った。
道々の城主にもてなしを受けているのであろうか?
それとも丹波路に変更したか?
不安はあったが、ひたすら待ち続けた。

須磨に至る海岸の沖には毛利に加担する水軍、村上水軍が行き来している。
恐らくは、秀吉の行軍も知ってはいるであろう。
ここで秀吉を叩いておけば、毛利の戦いも楽にはなるのは分かっていた。
しかし知らん顔である。

村上は陸の戦いは得意ではない。
それに毛利の家訓もある。
『他国の領土は狙わない』…と。

しかしながら秀吉隊は、海を気にしつつ、そして山からの攻撃も気にしつつ、用心の上にも用心を重ね、播磨の国を目指して進んでいたのであった。

「見えたぞ…」
官兵衛隊の物見の声がした。
「すごい人数でござる…。我が方の10倍は下らない様子でござる」

「ほうゥ、来たか…。どれどれ…。見てやろうかいのゥ…」
官兵衛は至って呑気であった。

何と秀吉も安心しきっているのか、信長よろしく先頭にいる。
少し遅れて、副将であろうか、シャキッとした武将もいる。
他にも取り巻きは、大体30名ぐらいか?
皆甲冑を纏い、いつでも戦闘に入れるようにはなっている。

官兵衛は一計を案じた。
「ちょっかいを出して、敵の実力を試してやろうぞ…。小平太、小次郎、行って参れ…。何も知らん振りしてな…。甲冑は要らんぞ…。槍ぐらいで良かろう…」

命令された2人、準備万端となり、勇気を持って秀吉隊の前に両手を広げて、飛び出した。
「あいや、待たれい! どちらへ参られる?」
と大声で隊列を止めたのであった。

「我れらは、大殿信長様のご意向をうけ、播磨の国主、小寺殿に誼を通じるために安土よりまかり越したものである。怪しいものではござらん」
秀吉隊の小者が答える。
「聞いておらんぞ…。御役目により、通すわけにはいかん」

早速、秀吉らしき大声が隊の中から飛んできた。
「御役目ご苦労でござる…。恐らくは、話は行き違いになっているのであろう…。貴殿らの殿に、お聞きになられるがよかろう…。それまで、ここで待たせてもらおうぞ…」
官兵衛隊の2人の若者、小平太と小次郎、思案顔を突き合わせた。

この一部始終を物陰で聞いていた官兵衛、それまでと思い出てきた。
「噂に聞きし及ぶ木下殿でござるまいか? 播磨の国の住人、小寺家の家来、黒田半兵衛と申す」
「黒田殿と申されるか? 出迎え忝い…。まこと拙者は、木下藤吉郎と申す織田家中のものでござる。御殿、小寺殿に誼を通じるために罷り越した。是非ともお通しをお願い申す。」
秀吉は、小物顔であるが、愛嬌がある。
若干の笑みを付け足すのも忘れない。

もう一人の武将も言った。
「拙者も同じく織田の家中、竹中重治でござる。我らは決して怪しいものではござらん。
御納得なさるまで、しかとお確かめになるがよかろうぞ…」
半兵衛である。

半兵衛は思慮深そうな顔をしている。そして一瞬の眼光も鋭い。
官兵衛は既に見透かされているような気がして、ゾッとしたのであった。
しかし、偉ぶっているわけではない。
どこか思いやりがありそうな気もしたのであった。

両者、馬鹿丁寧なあいさつのやり取りであった。
秀吉や半兵衛の周りに居る配下の兵たち、槍を官兵衛らに向けて構える訳でもなく、先を下におろして、固唾を飲んで見守っている。