美濃を虎視眈々と狙う信長は、このころ、美濃稲葉山に少しでも近い小牧山城に居を移していた。
意見を異にし、北にいる犬山城の織田信清を牽制しつつ、東部美濃はほぼ手中に収めていた。
美濃攻略の成就は、あとは稲葉山城を攻略して、国主斎藤家を追い出すのみとなっていた。

そして、北近江の浅井と同盟を結び、妹・市を長政の正室としていた。
美濃、近江、京への道行きの準備を着々と進めていたのであった。

余談であるが…、
信長と云う武将、あとの一向衆の殲滅の振る舞いから、非情・非道の武将かと思われがちであるが、そうではない。
親兄弟や味方を殺した相手には真剣に、完膚なきまでに戦うだけである。
殺された以上の仕打ち、仕返しをきっちりとするだけである。
裏を返せば、温情に極めて熱いと云うことになる。
だから、配下たちが安心して付いて来れるのである。

稲葉山城包囲作戦、秀吉に墨俣にも城を築かせた。
西美濃三人衆、安藤、稲葉、氏家の抑えの目的である。
戦闘配置はすべて整ったのであった。

信長の正室は、御存じ斎藤道三の娘「濃」である。
現在の国主斎藤龍興は濃の甥である。
濃はこの信長の美濃取り作戦の仕上げをどうするのか?
斎藤家はどうなるのか?
ずっと気にはなっていた。

濃は信長に、いつも話していた。
「斎藤の家はわらわが過ごしたところなる故、潰すと云うのは…。龍興殿には、争わず自然な形で国を譲るようにして欲しいと思いまする…」
「そりゃそれに越したことはないわな…。濃のところじゃからのゥ…。戦いを避けたいのが山々じゃ」
「わらわが、一働きしてみましょうかのゥ…」
「して、どうするのじゃ?」
「龍興殿に文を書きまする。信長殿と戦っても無駄なこと、悪いようにはせぬ故、わらわに預けよ…とでも」

実のところ濃はもう何度も文を書いていたのであった。
都度、家中の者が反対するとか、あれがどう言うとか、あまりいい返事が返ってはいなかったのであった。
「そうか…。しかしな、濃、心配は要らぬわ。先が見えて来たわ」
と信長は大層自信ありげであった。

信長の育ての親・教育係に沢彦宗恩(たくげんそうおん)と云う臨済宗の僧がいる。
時には、信長軍の軍師なり外交僧の役割も果たしている。

この沢彦、信長の密命を帯びて、西美濃岩田城へ半兵衛に密かに会いに行っていたのであった。
半兵衛も沢彦のことは、よく知っていた。
「半兵衛殿、お館信長殿の口上を申し上げる。信長殿は貴殿をわが軍の最高幹部として迎えたいと云っておられる。どうじゃな? 早速、拙僧と一緒に参らぬか?」

半兵衛は
「来たな…」
と思ったが、ここで直に靡くのは軽すぎる。
「信長殿が儂に下さる仕事は何じゃな?」
「そりゃ、貴殿ほどの才覚じゃ、軍師としてでござるよ。この宗恩も歳じゃからのゥ…。
今の信長殿の勢いにふさわしい軍師をと…」
「ほうゥ…。そうか軍師か…? やらんでもないがな…。それはまあいい。それで…、して、本当のご用は何でござるかな?」

「そんなことで来ないと、見破られているようじゃな…。いや、実は稲葉山城のことでござるよ。戦わずして明け渡す仕方はありや?、と云うことでござる」
「そんなことでござるか…。儂はまた、天下取りの話かと思ったが…。美濃か? 小さいのゥ…」

「しかし半兵衛殿、まずは美濃でござるよ…。これを何とかできないようなら、天下なんぞはとんでもござらん」
「何とかしたらよかろう…。煮るなり焼くなり、好みのままにじゃが…」
「煮たくも焼きたくもないからのゥ…。濃様の御実家でござるからのゥ…。それで相談じゃ…。力を貸してくれんか?」

「沢彦殿もすべてはお分かりでござろう? で、儂への所望は何でござるか? 美濃家中を収めるのか?」
「図星じゃのゥ。その通りじゃ…」
「見返りは何でござるか?美濃の重臣どもを信長家中に加えるお積りはあろうかのう? 龍興はどうするのじゃが?」
「美濃家中のことは心配ござらん…。龍興殿は田舎にて、御隠居でもと…」

半兵衛はなおも続けた。
「ここは美濃の外れじゃ故、動くには馬も人も要るでござる。隠居の身じゃ故、何もござらんが…」
「その儀、分かってござる。墨俣に木下藤吉郎と云うものを配置してござる。若輩者じゃが、お好きに動かしてくれて構わぬ」

「聞いたことない名前じゃな? そやつはできるのか?」
「調子者じゃ故、上手く使えば、それ以上の働きが期待できようと…」

「そういうことなれば、分かり申した。藤吉郎とやらを直ぐにここへ。そやつの顔を見てから、決めようぞ…。沢彦殿、今日はもう遅い故、明日で良ろしかろうと…」
「分かり申した半兵衛殿、明日の早朝にな…」

この隙を利用して、もう一人の軍師官兵衛は、この時点でどうであろうか…?
黒田孝高官兵衛は姫路城代の黒田職隆の子として生まれ、この時も姫路城にいる。
領主は播磨国主の小寺政職、姫路の東にある御着(ごちゃく)城主である。

官兵衛は丁度この年に家督を相続して、姫路城主になったばかりである。
御歳22才、働き盛りである。半兵衛よりも少しだけ若い。

美濃や近江では、国盗り合戦が続いていて、その様子は聞いているが、ここ姫路までの影響はまだない。
毎日取り立てての変化はない。そんな日々を過ごしていたのであった。

あくる日になった。
平伏した秀吉を伴って、沢彦が再び現れた。

「ほうゥ…。木下殿か…。ご活躍じゃそうじゃのゥ…。墨俣に城を構えたと云うではないか…。」
半兵衛は昨夜のうちに秀吉の情報を得ていたのであった。

「ハッ…。竹中重治殿でござりまするか…。お噂は充分に…。こ度は、ご一緒にお勤めが叶いましてございまする…。何分、若輩者故、ご指導賜りまするよう…。」

「何の木下殿…。堅い挨拶は抜きじゃ…。貴殿の考えを言うてみなされ。どんな些細なことでも構わぬ…」
「さればじゃ…。お館信長様は今度ばかりは平穏のうちに美濃を手に入れたい、とのお考えでござる。美濃には何の恨みもござらん。そして奥方様のご実家でもござる。戦になると、人や町が傷つき、その修復に多くの日々を要する。そんな時間は無いぞと、それを嫌っておいでじゃ…」

「それはそうでござろうて…。今回ばかりは民を味方に付けないとな…。後々の治世がやりにくくなるでのゥ…。それで、どうしたいのじゃな?」
「そこはそれ、その知恵は竹中殿が持っておられるとの仰せで…、全て任せるとのことでござる」

「なるほど…。信長殿も買い被りが激しいようでござるな…。まあ良いわ…。木下殿には存分に動いてもらおうぞ。作戦は儂が考える。それでよいな!!」
「もちろんでござる。良しなに…」

沢彦も同意して、
「竹中殿にお任せ申した故、一両日中に作戦をお考え致されたく…。信長殿の了承は、拙僧が求めて参る」
と、3人で申し合わせたのであった。

作戦会議は明日と決めたので、この日は、一旦解散したのであった。
沢彦は小牧城に帰った。
早速信長に、昨日からの経緯を報告したのであった。

「半兵衛の巻き込みに成功したか…。よくやった。美濃を全て知り尽くした男じゃからな…。これで、上手く美濃が手に入るな…。すべては明日じゃ。」
と信長は上機嫌であった。

あくる日の作戦会議になった。
半兵衛は沢彦、秀吉、そしてそれぞれの与力、弟重矩を前にして、作戦を授けたのであった。

「稲葉山城攻撃の時には、信長殿には城下の近辺まで、軍を率いて御出馬願いたく存ずる。そして、龍興様の離城の折を見て、入城願いたく…。この件は、沢彦殿にお願い申す」
「藤吉郎殿には、城下に軍を出陣頂きとう存ずる。もちろん信長殿のご指示により動くものでござるが…。城への登城口を全て抑えることと、城下の護りでござる。万が一、伏兵が押し寄せて来るようなことがあれば、追い返して欲しいのじゃが…。景気付けに、城下を少しぐらい焼いた方がいいかも知れんのゥ…」

「儂と重矩で、安藤、稲葉、氏家の三人衆に話を通じようぞ。よいな重矩!」
「承知仕りましてございまする」

「その説得が成就した時点で攻撃開始じゃ…。交渉の成行きは、藤吉郎殿に報告する故、信長殿にお伝え願いとうござる。最終は信長殿の下知にて城攻め開始じゃ!」

「山上の龍興のところへ行くのは、30名程度でよかろう。信長殿本隊から10、藤吉郎殿から10、重矩のところから10名じゃ。指揮は、藤吉郎殿と儂で取る。これで良かろう…」

「あい分かったでござる」と秀吉。
「数日中でござるな…。お館様にも、そのように申し上げておこうぞ。お任せあれ」
と沢彦、全てが合点いったのであった。

「おゥ…。大事なことを忘れるところであった。龍興様の落ちのび先のことよ。これは、奥方濃様が手配されていると聞いておるが…。沢彦殿、それでよろしかろうな?」

「半兵衛殿、御意でござる。すでに伊勢の地にて、手配は終わられておられると聞いてござる。それは、儂にお任せあれ…」

「これで作戦は決まったのゥ…。重矩、早速義父殿のところへ出かけるぞ!藤吉郎殿もな…」
作戦は全て決まったのであった。

この作戦のキーになるのは何と云っても西美濃三人衆である安藤守就、稲葉一鉄、氏家卜全の抱き込みである。

先ず、安藤の北方城へ行き、話を持ち掛けた。
既に弟・重矩から打診をしていたようで、詳しく説明もしないうちから、
「そのように…」
との答えであった。
秀吉は話の合間を狙って挨拶するのが背一杯であった。

「日はまた追って連絡するが、信長殿入城の折際には、慶賀を頼みましたぞ。」
「御意…。次は何処じゃな…」
「稲葉殿でござる。」
「儂も行こうかのゥ…」
と半兵衛、秀吉、安藤で稲葉一鉄の曽根城に行ったのであった。

「おゥ…。よう来たのゥ…。半兵衛殿、隠居していたのではござらんか? 悠々自適、草木と戯れてござったのでは?」
「昨今また、きな臭くなってきてのゥ…。尾張の織田殿じゃ。争うよりもな…、我らが織田殿の家臣としてのゥ、美濃を治める作戦を立てたのじゃ」
「なるほどな…。しかし、そんなに上手く行くとは思えんがのゥ?」

「これは、織田殿の家来、木下殿じゃ。信長殿の密命を持って、おい出なすったのじゃ。
従って、間違いはござらん」
「それなら良いがのゥ…。まあ、半兵衛殿、お主に任せるわ。争い無く龍興様がご御隠居なされるなら、それに越したことは無しじゃからのゥ…。して、氏家殿はどうなんじゃ…?」

「これから参るところでござる。」
「左様なら、儂も行くかのゥ…。暫し、待たれよ。支度するでのゥ…」

この合間を利用して、余談である。
信長が美濃を欲しがる理由は二つある。
一つは京への通路であるからであるが、も一つは肥沃な美濃の土地である。

痩せた尾張に比べると美濃は、大河が三本も流れていて肥沃な土地柄である。
農産物の収穫量も数段多い。
上京を狙う信長の資金造りにはもってこいのところである。
信長は喉から手が出る程、欲しかったのである。
それがやっと叶う寸前まで来たのであった。

さて、一行は氏家の大垣城に到着した。
今度は、墨俣城代秀吉が作戦の全てを説明した。
3人に秀吉まで来られては、気持ち良く「うん」と云うしかない。

それに、美濃全てが滅ぼされる訳ではない。
斎藤家が滅ぼされるだけである。
それは仕方のないことと前々から感じていたところに、この話である。
「御意、御意…。半兵衛殿、それに安藤殿、稲葉殿、全て御同意であれば、申し分なし。
良しなにお頼み申す」

ここで手打ち・一献となるのであろうが、まだまだ次がある。
次は配下の小者達に話を通じておかなければならない。
それも含めてこの美濃新連合、5日間で出来上がったのであった。
勿論のこと、誓詞を作り半兵衛が全て預かったのは言うまでもない。

攻撃は1567年の8月の吉日に決まった。
秀吉を始めとする織田軍、稲葉山を包囲、布陣した。
信長も出馬、稲葉山の峰続きの瑞龍寺山に布陣し、とりあえずは高見の見物と決め込んだ。

敵は山上にいる斎藤龍興と一部の側近たちだけである。
直ぐに龍興の拉致に向かってもいいのだが、美濃の衆にもプライドがあろう…。
少しは戦闘らしきが必要であるが、敵は一人もいない。
仕方ないから城下を少し焼くことにした。

信長は稲葉山の麓も城郭にするつもりである。
それに不要なものを全て焼き払った。
火が消えたころ、拉致隊30名が城に登った。

「龍興殿、お迎えに参上仕り候…。ご案内仕る…」
「……」
既に内通していた側近達も一切の手出しはしなかった。
龍興は数名の者に囲まれて、静かに山を下りて行ったのであった。

その姿を信長は見た。哀れな姿に見えたと云う。
「粗末にするでないぞ…。濃の里じゃからな…。今後の美濃が掛かっておるでな…」
と、側近達に伝えた。
時は8月15日であった。

この美濃の稲葉山城下は井ノ口と云われる。こののち沢彦禅師の発案により、岐阜と改められた。そして城も岐阜城と名付けられたのであった。

西美濃3人衆は勿論のこと、その他大勢の美濃の武家衆も信長家臣となったのであった。
半兵衛はこの多大な功により、織田軍筆頭の軍師として迎えられたのであった。