まず半兵衛である。
1544年、美濃の武士の生まれである。
父親はあの国盗り物語の主人公の斉藤道三の出城、大野郡の大御堂城の城主であった。
その名を竹中重元という。

竹中重元は美濃の西端にある岩手城を攻略して、新たに裏山の山頂に菩提山城を築いてこれを居城とした。
その子、半兵衛重治もこれに従った。

1560年、父重元の死去により家督を相続し、城主となって美濃国の国主・斎藤義龍に仕えた。
斎藤義龍は蝮の斎藤道三の子供である。
そして次の年、義龍が死去すると、その後を継いだ子の斎藤龍興に仕えたのであった。

この頃は、織田信長の美濃攻めが激しくなって来ていた。
信長の目的は稲葉山城(のちの岐阜城)と美濃の侵略・奪取である。
それでも義龍の時はその信長の攻撃をよく防いでいた。

しかしその子、龍興は道三からは孫で3代目、それに歳もまだ若い。
元服したばかりである。
祖父譲りの獰猛さも、もはや薄れて迫力も何もながった。
家中はてんでバラバラ、結束が固まらず、まとまりのない状態であった。

信長はそれを知っていてか、その隙を攻めて来る。
しかし、重治の機転と戦術指南により、信長軍を何度か破り、寄せ付けることはなかった。

また、龍興は領主・城主には向かなかったのであろう。
若いのに既に自暴自棄、酒色に溺れる毎日であった。
政治のことは放ったらかしで、小うるさい重治や西美濃三人衆を近づけず、気の合う近習たちと戯れていた。

亡父重元の命日のこと、重元の隠居城であった岩手城に家臣・親族たちが集まっていた。
法要も終わり、父重元の遺徳を偲ぶ酒宴となった。
しかし昨今の美濃では、人が集まって二言目には、美濃の行く末の話になるのが常であった。

「どうしたらいいもんじゃろうか? このままでは、城も美濃の国も自滅じゃ…」
「兄上、心配でござるな…。今度こそ信長めに襲われたならば、危ういと…」
弟の重矩(しげのり)も恐れるばかりである。

安藤守就(もりなり)という西美濃の三人衆の一人が重治の舅である。
この舅も話に一緒に加わっている。
重治と同じ斎藤家の重臣である。

舅守就は重治よりも30才は年上である。
「殿(龍興)の振る舞いがあれではのゥ…。行く末が案じられるワ。一層のこと、我らで城を奪い取って、目を覚ましてやるか?」
「なにィ。城を奪う? 面白そうじゃのぅ。で舅殿、城を奪ってどうするのじゃ?」
と重矩がもう乗って来ている。

「信長に取られるよりはましじゃろうて…。我らが美濃の国を治めればよいのじゃ。儂が国主でも良いし、重治でも良い。取って見てからの相談じゃ…」
しかし重治は、
「呑んだくれの殿から城を取るのはた易いが、家中の者はどう思うかのゥ?」
「それは、古き付き合いであるからして、我らに味方してくれると察するがのゥ…」
「そう甘いものではござるまい」
「しかし、やってみないとわからんじゃろう…。城下は儂がおとなしくさせる故、婿殿は城を奪うがよかろう…」

「舅殿、ざれ言はここまでにしましょうぞ。今は、その気が全くござらんでのゥ…。今晩は親父を偲ぶ日じゃからのゥ…」
重治がきっぱりと云って、その日はそれでお開きとなった。

翌朝、重治半兵衛は舅安藤の屋敷に出向いた。
昨日の法要参集の答礼である。
挨拶もそこそこに、舅の書斎に入って、人払いをして相談を始めた。

「舅殿、昨日のことでござるがのゥ…。早速の妙案が浮かんだ故、決行の日を決めとう存ずるが…。早い方が良かろうと…」
「そうか、やる気になったか…」

「もともとやる気ではござる。我が美濃の国の政道を正す為には必要なことでござる。しかし、昨日は我が城中とは云え、余人も多数おる故、話がどう漏れるか分からないでござる。無関心を装ったまででござる」
「じゃあ、決行じゃな。儂が城の様子を探って、日を云うからな…。4、5日のうちじゃ…」

話は決まった。
安藤守就は城下を抑え、反撃してくる輩を食い止める。
半兵衛は城に登って、城を奪取する。
決行日は未定であるが、4~5日中と決定した。

美濃の稲葉山城は、急峻な山の山頂に建てられた城である。
この城に登城するのは一苦労である。
通常はつづら折りの道を登り、南の尾根筋に取り付いて、その尾根の狭い道をひたすら歩いて登城する。
城の直下からは山慣れしたものなら登れるが、それは困難を極める。
難攻不落の城と云われる所以である。

この城を攻略する方法をどうするか?
半兵衛の思案のしどころであった。

「大人数は無理だ。かと言って、少人数では勝てないなァ…。そうか、毎日開かれる宴席に潜り込むか?」
官兵衛は龍興配下の城主である。
堂々と城門を潜って、宴席に入り込むことにした。

「大人数で行けば疑われるやも知れん。3人ぐらいで行けばよかろう…。あと10人ぐらいは、気の毒だが山を直登してもらおう。日頃鍛えておるでのゥ…」
実は半兵衛の居城菩提山城は美濃の西外れ。伊吹山を背景にして築かれた400mの山の上の城である。麓には旧城岩手城がある。
半兵衛はもとより家臣たち、この上り下りは日常茶飯事、鍛えられている。

1564年吉日、作戦は決行された。
14人の武装兵が山を登った。道なき道をである。
足を滑らせば、即座に谷へ転落である。
一刻足らずで全員城に着いた。
10人もいれば、城の周りは固めることができる。
全員配置についた。
城下では、守就と2000の軍が抑えている。

一人が半兵衛に合図をしに行った。
半兵衛はそれを受けて、そろそろ酔いが回ったと思われる頃、
「殿、お命頂戴仕る!!」
「おう、半兵衛か…? 急にどうしたんじゃ? 座興か?」
「殿、座興ではござらんぞ…。お命頂戴仕る…。ゴメン…」
と半兵衛は龍興の襟首を掴んで刃を喉にあてた。

「何をする半兵衛…。やめろ!! 座興が過ぎるぞ!! 苦しい・・・。」
「殿、お静かになされェ。 騒ぐと切れますぞ…」
「わかった分かった。半兵衛、何が所望じゃ?」

「殿、いきり立ってる奴等の刀を、まず捨てさせることじゃ。次は城から出させることじゃ…」
「わかった分かった!半兵衛! 皆の者、その通りにしろ!!」

「さて殿じゃが。ご案内仕る。お覚悟,召されい!!」
龍興は半兵衛の手の者に前後左右を固められ、山を下されたのであった。
この間、わずか四半刻ほど…。
稲葉山城は半兵衛と安藤の手に落ちたのであった。
龍興はと云うと、山を下され、安藤守就の屋敷に軟禁されたのであった。

暫くして半兵衛のもとに信長からの使いの者が来た。
「お館様のお言葉をお伝え申す。こ度は稲葉山城を落とされたこと、執着至極に存ずる。その行い、この信長のためであろうとその働き感激仕り申した。一刻も早く稲葉山城に入り、敵の奪還を防ぐ所存である」

この奪取劇を、信長のためと勘違いした信長は稲葉山城の引き渡しを要求したのであった。

「信長殿にお伝えくだされ。この儀は斎藤家中の内部の揉め事でござる。貴殿にお渡しは致す積りは毛頭ござらぬ…とな。」

使者は帰って行った。
一難は去ったが、肝心の城主が定まらない。
おまけに家中の者からは、総スカンであった。
見込みが違った半兵衛と安藤それと重矩、鶴首会談である。

「殿を諌めただけに過ぎぬな…。我らは家臣達からの信望もないみたいじゃし…。城をお返し申そうか?」
重治の提案である。
「儂の一人芝居じゃ、と云うことにしてな。殿がこれで政務に専念してくれると良いのじゃが…。儂は隠居するワ。後は、重矩頼んだぞ…」
と、半兵衛は勝手に決めて、斎藤家の職を辞去したのであった。

実は半兵衛のこの時の本音はこうであった。、
「先ず信長に城を渡してしまうのは美濃衆への裏切りである。儂の主義からしてそれはできないな…。しかし、美濃の勢力だけではどうしても信長に負ける。負け戦の現場にはいたくない…。こんな子供の喧嘩みたいなものには付き合いたくなァ…。儂はこんなところで生涯を埋没させる人間ではない。もっと大きなことをすべきであろう…。それには、信長から迎えに来さすのが最良の策であろう…」
このようであった。

半兵衛は隠居した。
待ってましたとばかりに、北近江の浅井長政から誘いがあった。
客分として禄をもらったが、
「つまらん!」
として、浅井家を辞し、岩手城へ戻り再び隠居したのであった。