我が国の戦国時代、何時から何時までを言うのだろうか?

少なくとも戦国であるから、武力による戦いによって天下の主になる、あるいはなった時代のことであろう。

一国の支配者と云うものは、その領土を守るための武力を保持するのは当然であるが、支配権力を奪取する目的で武力を行使したのが戦国の時代と云えるのではないかと思われる。

平安中期までは、武力で禄を食む職業的武士はいなかった。
あくまでも臨時の戦闘隊構築で対応した。
腕に覚えのある者たちが、必要な時に、弓矢・刀剣を持って戦ったのである。

天皇家上皇による院政が行われるに至って、白河上皇が造った政庁鳥羽離宮を護衛する北面の武士集団、専業者たちが誕生したのが武士の始まりであろう。

一方、源氏に代表される、農耕豪族の中から、天皇に由来すると云われる武士団も形成されたが、天皇や上皇の守護軍の域を出なかった。

平家の専横に手を焼く天皇家が源氏諸侯に討伐命令を出し、平家をを撃ち取り、その後、征夷大将軍に任命じて国の守りと云うことで、幕府を開いたが、まだ、天皇家の力が強く、国を治めると云う形ではなかった。
しかし、徐々に天皇を軽視する兆しがあったことは事実である。

それを良しとしない天皇家は、建武の新政を始めたが、このころから、武力で天皇を変えたり、奪い返したりと、いよいよ戦国らしい時代に突入、武力にものを言わせる時代をとなって来たのであった。

足利尊氏が北朝征夷大将軍になったが、まだ、南北朝は続く。義満将軍の時に南北朝が解消され、少なくとも国が鎮まったようになったが、仮の姿であり、その後の応仁の乱にて、国家は大きく乱れた。

応仁の乱には、北面の武士崩れの武士達が活躍した。しかし、その乱も集結すると、武士たちはてんでに住み家を見つけ、散らばった。

この散らばった武士たちが、国取りを目指して、戦闘員や棟梁となって、戦国の世に突入するのであった。

この戦国の世で、大活躍はしたが、支配者にはなれなかった武将たちを描いていくことにする。