「れ」の駅は趣向を変えてレトロ調のバスが発着する停留所とする。
調べてみると、この種のバスを観光用として走らせている街は幾つかある。
そのうち今回は姫路市を選び行ってみた。

姫路の駅前広場は西半分がまだ工事中である。
来年の大河ドラマ「官兵衛」や再来年の新装天守姫路城の観光人気を期待しての工事を行っているようである。

駅前のバスプールからレトロバス「城周遊観光ループバス」が出ている。
昔懐かしいボンネットバスである。

このバスの運行ルートは姫路城の周囲を一周して駅に戻って来るものであるが、所々に停留所を設けていて、好きな場所で乗り降りができるようになっている。

早速、乗ってみよう。
姫路は何を於いても先ずは世界遺産国宝姫路城であろう。

バスは北に大手前通りを城に向かって進む。
城の内濠に突き当り交差点を右折したところでバス停「姫路城大手門前」となる。
ここまで4~5分、もう少し乗っていたいが、先ずは降りてみよう。

バス停から少し西へ行く。
「桜門橋」を渡り「大手門」を潜り、城内へと入る。
そこは三の丸広場、かなり広い。

広場の先の高台に工事中の天守の白いパネルに覆われた姿が良く見える。
その横に接近して小天守がそのままの姿で見える。

三の丸広場の横を通って、入城口へと向かう。
入城口を入った所に姫路城で最も大きいと云われる立派な門がある。
白壁装飾の門で、菱の紋があることから「菱の門」と命名されている。

城内は結構入り組んでいる。
案内矢印に従い、先ずは天守を目指して進んで行く。
天守前の広場まで到着した。本丸の跡地であろう。「お菊井戸」がある。
その横をさらに進む。
工事用の資材運搬橋が架かっている。
横目に見て、やっとの思いで天守見学施設「天空の白鷺」入口に到着したのであった。

工事用の覆屋が建っているが、立派な建物である。
エレベーターで8階まで上がる。

そこでは天守の最上部の屋根の工事の様子をガラス越しにではあるが見ることができる。
工事はほぼ完工状態のようである。
ダメ工事であろうか? 2~3人の職人さんが動いている。

天守の屋根をこんな間近で見ることができるなんて、めったに無いことである。
感激して暫く見入ったのであった。

姫路城大天守保存修理事業の竣工は再来年の3月の予定である。
その時には綺麗な天守が出現する。
尚、この屋根の見学は来年の1月15日までとのことであり、今後観光客が増える見込みとのことである。

次は姫路城内の見学である。
姫路城内は複雑な通路になっていて、門も数多くある。
先ほどの入城口に近いところから時計回りに「いの門」「ろの門」と云う風に名前が付けられていているのは面白い。

西の丸に向かう。
この西の丸は千姫ゆかりの場所である。

千姫とは徳川2代将軍秀忠と正室江(ごう)の子供、もっと云えば信長の妹お市の孫、更に云えば、大坂の陣の時に大坂城内にいた豊臣秀頼の正室である。
大坂城落城の時、何としてでもという家康の願いで救出されている。

千姫はその後、三重桑名藩の本多忠刻に輿入れした。
更に忠刻の播州への移封に伴って姫路城で生活することになった。

そのあおりを食ってか、時の姫路城主池田光政は鳥取藩へと移封になっている。
しかし千姫は勝姫を生み、この勝姫が6歳の時その光政と婚約したのである。
その後光政は千姫の弟の将軍家光の計らいにより、岡山の初代藩主になっている。

このように千姫は初期の徳川体制に重要な役割を果たした人物でもある。

西の丸は高台にあり、その周囲は回廊状の長局が設けられてる。
俗に云う「百閒廊下」である。
この廊下は櫓が連なった形である。
そして櫓にはカタカナでイロハが振られているのも面白い。

その長い廊下の本丸に近いところに「化粧櫓」というのもある。
千姫の日常の居室であったのであろう。
櫓内には千姫が勝姫とかるた取りをする風景が2体の人形で表されている。

間もなく千姫に身内の不幸が一気に襲いかかる。
夫忠刻の突然の死去、忠刻の母の死去、そして千姫の母お江の死去、千姫が30歳の年であった。
この年、千姫は江戸に戻る決心をし、そして姫路に別れを告げたのであった。

西の丸を出て、元の入口から城外に出る。
姫路城の建物をほぼ一周した形となったのである。

姫路城の斜め前にある「播磨国総社 射盾兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)」にお参りし、ご朱印を頂き、近くの「姫路郵便局前」と云うバス停からレトロバスに乗った。

城の北側、そして路地のような西側を通り、大手前通りから姫路駅に戻ったのであった。

〔れの駅 完〕