大阪・京都を結ぶ阪急電車京都線の「洛西口」駅は、今から10年前に開設された阪急電車では2番目に新しい駅である。
この付近は、この東にあったキリンビール京都工場が閉鎖され周辺の再開発の気運が盛り上がってきたこと、また西方向へ丘を一つ越えたところにある洛西ニュータウンへの利便性が大いにあることなどから、新駅が求められていた。

かつてこの付近には、戦後すぐに開業され数年で廃止された「物集女(もずめえき)駅」があった。
洛西口駅はその駅が復活する形で、2003年に新駅として設置されたものである。

この動きは阪急電車だけではない。
東側を走っているJR東海道線にも「桂川駅」という新駅が、同様の理由で設置されているのである。

「洛西口駅」で下車した。
駅の直ぐ北を通っている道路は洛西ニュータウンと国道171号線を東西で結ぶ昔でいうと「伏見道」現在は「府道中山稲荷線」と云う広い幹線道路である。

この道路沿いに、先ずは駅の東側を見てみる。
道路の直ぐ北は陸上自衛隊の駐屯地である。
更に東に行くと商店や事務所、民家などが少しは見られるが、その奥は自衛隊が広がっていて、これがJR桂川駅まで続く。
話には聞いていたが、かなり広いものである。

一方道路の南側は、線路を渡ると直ぐに下水処理場のような施設があるが、その先は住宅や商店が続く。
更にその先はかなり広い土地があり、建設工事が盛んである。
キリンビール工場の跡地である。
この跡地にはある大手企業グループ会社の本社が既に稼働を始めている。
また別の企業の研修センターや私立の小学校等の建設工事も急ピッチである。

そして、この跡地の最大のプロジェクトは大手スーパー「Iモール」の建設工事である。
既に着工されていて、来年秋の開店を計画している。

東側を後に、今度は西方向に向かうことにする。
先ずは駅に戻る。
云い忘れていたが、阪急電車もこの付近で高架工事がなされている。
計画では、そろそろ片側だけが高架に切り替えられる時期のようである。

駅から西に伏見道を進む。
南側にフィットネスクラブ、北側にテニスクラブがある。
この辺りはスポーツゾーンのようである。

道路の北側の先に「いろは呑龍トンネル」と云う看板とポンプ場のようなものが建っている。
見てみると、これは洪水対策の一環で、この地域の幾つかの河川の水量をコントロールするものであると云う。
地下に、54,000立方メートルものトンネルがあり、それぞれの河川の増水時には水を貯え、河川の状況に応じて放流するものだそうである。
この地域の洪水を防ぐためのものであり、昨年度の大雨で、大きな力を発揮したとのことである。

伏見道を更に西に進む。
「御所海道」と名付けられた交差点がある。
この場所に海がある筈はないので、「海道」とは何かと思って調べてみたら、昔の集落「垣内(かいと)」の呼び方であると分かった。

この交差点で南北に交差している道を「物集女(もずめ)街道」という。
物集女と云う地名は、仁徳陵を始め多くの天皇陵がある現在の大阪・堺市の百舌鳥(もず)から来た一族が住んだと云うことによりその名が付けられたと云われている。

物集女には物集女城跡がある筈である。
伏見道を更に西に向かい、「中海道」という交差点のその先まで行ったが見つからない。
携帯電話のサイトで調べてみると、御所海道交差点の南西方向にあるとのこと…。
引き返して物集女街道の一本西の道を南へ下がる。

住宅地である。
右手に大学の農業演習場がある。

左手の路地を見ながら進むと何やら看板が見える。
近づいて見ると「ここが物集女城跡です」と云う案内看板がある。
やっと見つけたと云うのが実感であった。

いかし、城跡は民有地となっていているようで入ることはできない。
柵の外から眺めてみる。
田や林があり、一部土塁らしきものも見える。
後で調べてみると、この城跡は東西100m、南北75mの規模があったと史料には書かれている。

物集女城は、かつて室町時代に物集女一族が築いた城である。
織田信長が京都の地を制圧した後、細川藤孝が桂川西岸一帯を治めるようになった。
そして藤孝はこの地の豪族らの領土を安堵したと云う。
安堵に喜んだ豪族らは勝竜寺城の藤孝のもとに御礼に参上したが、物集女氏の当主忠重は代々の自分の領地であり、礼は必要なし、参上する謂われはなし、と拒絶したため、勝竜寺城下で暗殺という憂き目にあった。
それ以降、物集女氏は衰退したと云われる。

現地案内板には、詳しい情報は近くの公民館に有りとのことで、早速行ってみることにする。
公民館の事務員の方に聞いてみると、物集女城の復元模型がありますよ、とのこと。
ロビーにあった復元模型を見せて頂いた。
詳細なパンフレットも販売していたので、買い求めた。

さて次である。
淳和(じゅんな)天皇の火葬塚、桓武(かんむ)天皇皇后の陵がこの辺りにあるとのこと。
道を教えて頂き、向かったのであった。

〔むノ駅に続く〕