「よいまい」とは、香川県産の「さぬきよいまい」のことで、「オオセト」と「山田錦」を掛け合わせて、香川大学農学部で近年、開発された酒米である。
オオセトのキレの良さと、山田錦のふくらみのある味わいを持っている。
香川にある酒蔵では、それぞれこの「よいまい」を使った酒も醸造している。

「よいまい」とは字のとおり、良い米とか酔う米とかいうことであるが、讃岐弁で云うと、「酔って下さい」とか「酔いなさい」という意味がある言葉でもある。

今回、手に入ったのは金陵の純米酒「よいまい」であった。
この金陵という酒は、讃岐の金毘羅さんの参道にある酒蔵「NK酒造」の酒銘である。
この酒蔵では「よいまい」を使った酒を、他の酒蔵に比べて10倍以上の量を醸造・販売している。

さて、「よいまい」はどういう味がするのか?
早速、味わってみた。

芳醇と淡麗の中間ぐらいの味わいである。
そして喉越しは旨口とも辛口とも言えず、これも中間ぐらいであろうか?
旨口ファン、辛口ファンの両方の方が味わえるような酒である。

言い換えれば、バランスの良い酒であると云える。
四国の玄関・代表県香川としてのバランスの良い中庸性・県民性が反映されているのかも知れない。
気が付いたら、瓶が空になっていたのであった。

「よいまい」を頂きながら、かつてお参りした讃岐の金毘羅さんを思い出した。
JRの土讃線の琴平駅で降りて、暫く駅前の広い通りを歩いて金毘羅さんの参道入口に達する。
その途中には参詣者を照らす巨大な「高灯篭」もあった。

参道をに入って少し行った右手にこの金陵の「NK酒造」の本社がある。
建物は年代物であり、綺麗な商家風建物の店構えである。

その筋向かいには、中野うどん学校と云うのがあって、讃岐うどんの打ち方を教えてくれる。
もちろんうどんも販売していて、広い店内で食べることができる。
金毘羅参り、長い階段を上って行かなければいけないので、まずは腹ごしらえとした。
ツルツルピカピカのうどんで、出汁も良し、少々お高いが、美味かったのを覚えている。

さて、金毘羅さんの参道に戻る。
参道の両側には、土産物屋やら名物を売る店やら…、賑やかである。

急に上り階段になる。
階段登り口には、駕籠タクシーと云われるものがいくつか営業していた。
何百段もの階段を登るのは難しいと云われる方への配慮であろう。

階段を登り始めたら最後、休憩する場所は見当たらない。
立ち止まって、息を整えるぐらいであろうか…。
休憩は両側の茶店で、と云うことになっているのであろう。
それにしても急な階段である。

金毘羅さんの階段は上の本殿まで785段ある。
体力が無くなっている今の体で、登り切れるかどうか心配しながら、いつでもUターンと思いながら登り始めたのであった。

きつい階段が続く。
やっと神社の大門に到着する。
ここまでは一年の日数と同じ365段あると云う。

大門には有栖川親王の筆になる扁額が掛かっている。
ここから向こうが境内である。
もう土産物店は無い。

大門の向こうは少しばかり平坦な境内となる。
歩いて行くと階段に掛かるが、心なしか緩やかになったような気がする。

暫く登って行くと、右手に重要文化財の表書院・裏書院がある。
更に登ると、重要文化財となっている大きな社、旭社がある。
かつて神仏習合時代の松尾寺の金堂であったそうである。
周辺は綺麗な彫刻がなされており、豪華なものである。

この旭社には逸話がある。
かつて江戸時代に参拝した遠州森の石松は、神社の本堂と勘違いして、ここにお参りしただけで帰ってしまったと云われている。

ここからは、本殿はもう少しである。
鬱蒼とした森の中の階段へと入って行く。
階段は一方通行である。
最後に一気に登り詰め、無事、本殿到着となったのであった。

本殿から讃岐平野を眺めると、讃岐富士が丁度いい具合に鎮座して綺麗に見えたのであった。

さて金毘羅さんの歴史を少しだけ振り返って見る。

金毘羅の名は、梵語「クンピーラ」から来ているそうで、その意味はワニであり、水神として尊崇された。
霊験あらたかなることが広まり、奈良時代に孝謙天皇が勅使を遣わし、殿堂を建立されたと云われる。

その後、室町時代になって「讃岐の金毘羅さん」と、全国的に知れ渡ったと云われている。

元々は、真言宗松尾寺の鎮守神が金毘羅宮であって、神仏習合で金毘羅大権現と称されて栄えたが、明治の廃仏毀釈にて、現在の金毘羅さんになった。

金毘羅さんの祭神は、ご存じ大物主命(おおものぬしのみこと)、そして崇徳(すとく)天皇である。

言い伝えによれば、大物主命はこの琴平山の麓まで瀬戸内海の海水が深く入り込んでいるこの場所に行宮を営み、中国、四国、九州の統治を行ったと云われている。
海の神と云われる所以である。

一方、崇徳天皇は帝位を廃され上皇となって讃岐に配流され、その後の9年間の生涯に、金毘羅さんを深く崇敬され、この山に参籠したこともあると云われている。

江戸の初期には、松尾寺の僧がが参拝の土産物として○に金の印を入れた団扇を考案したと云う。
この頃には信仰が次第に広がりを見せていたのではなかろうか…?
その団扇が参拝客を呼び込んだようである。

江戸中期には、信仰は全国の庶民へと広がり、各地で金毘羅講が組織されたと云われる。
金毘羅参りは伊勢へのお陰参りに次ぐ庶民の憧れだったと云われている。

そして江戸末期には、
「こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ
まわれば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば …」
との民謡が歌われ、信仰は大流行となったのである。

さて、酒に戻ろう…。

この金毘羅さん門前にある金陵の「NK酒造」は、当初は阿波の国で酒造業を始めたと云われる。

そして金毘羅参りがにぎわった江戸の中期に、この地に来て、門前で酒造業を開始したのであった。
その後、並々ならぬ努力が重ねられたのであろう…。
その甲斐あってか金陵は金毘羅宮のご神酒となり、現在に至っているのである。

讃岐の酒米「よいまい」と金毘羅さんから湧き出てくる伏流水を使った酒、そして金毘羅大権現。

讃岐オリジナルを満喫した次第である。
〔よノ酒 完〕