「や」の駅は滋賀県にある「野洲(やす)駅」である。
日本最大の銅鐸が里帰りしているので、それを見学することを第一目標として出かけた。

野洲市は琵琶湖の南東岸にある街で、近江富士「三上山」の麓に位置し、古来からの暴れ川である近江太郎「野洲川」が流れる古くは田園地帯である。
現在もその田園地帯を残していて、碁盤の目のような条理地割が見られるところがある。
また野洲市は、古墳時代から、中世、近世と栄え、歴史の積み重ねが厚いところでもある。

野洲市を通る東海道線には新快速電車が走っているので、大阪駅からも一時間以内で行くことができるのは嬉しい。
新快速に乗って、野洲市の中心駅「JR野洲駅」で下車することにする。

駅の東側へ出る。
駅前ロータリーが工事中である。
臨時舗道を通り、駅前から直角に出ている広い道を暫く歩くと、野洲市役所前の交差点に出る。
市役所を眺めてみたが、そんなに新しい建物ではない。
3階建ての小さな学校のような建物である。
この質素感には共感を覚える。

ビルや家屋の隙間から、近江富士三上山が見える。
山に近い場所なので、余りの美しさは感じない。

元の広い道に出て新幹線の高架橋の下から、左手の狭い脇道に入る。
旧の中仙道である。
左手に年代物の町屋がある。
何だろうと思って見てみると、造り酒屋である。
A酒造という看板が下がっている。

酒屋の前を過ぎ、どんどんと進む。
道は東向きから北向きへとカーブしている。

見るべきものはない。
かなり歩いたころ、右手に「桜生(さくらバサマ)史跡公園」と云うのがある。
「甲山古墳」「円山古墳」「天王山古墳」の3つの古墳があるそうであるが、入口を説明板を覗いただけで、更に進む。
この公園の裏手辺りに「銅鐸博物館」がある筈である。

少し広い自動車道と交差する。
この道を右山手方向に進む。
直ぐに高架道路を潜る。
国道8号線、現中仙道である。
少し歩いた右手に、博物館と公園が見えてくる。
かなり時間が掛かったが、何とか到着したのであった。

入場料を払って早速入ってみる。

展示室の入口正面に日本最大の銅鐸が展示されている。
色は薄い青銅色、勿論色は均一ではない。
背丈134.7cm、質量45.47kgだそうである。
明治14年に発見された弥生時代の銅鐸で、東京国立博物館所蔵の重要文化財である。

野洲の銅鐸は、この付近の少年2人が大岩山に遊びに行って、大中小の銅鐸を発見したとのが最初であるとのことである。
第一発見場所はこの博物館のすぐ裏手である。

発見した大中小3個は入れ子状態であったと云う。
その知らせを受けた親たちが、発見場所に向かい合計14個を発見した。
そして全数が東京国立博物館に運ばれたのであるが、最大の銅鐸とあと一つが博物館に入り、それ以外は戻されたと云う。
以来130年経過して、最大の銅鐸が里帰りを果たして今回の特別の展示となっている。

野洲では、昭和になってからも銅鐸が発見されており、それも合わせて銅鐸博物館には20体以上の銅鐸が展示されている。
これらの銅鐸展示は見事であり、感動したのであった。

博物館の前にある「弥生の森歴史公園」では、竪穴住居や高床倉庫からなる弥生の集落が再現されている。
また古代の大賀ハスなども育てられている。

博物館を後に、もう一つぐらい見物しようと歩き始めた。
南へ行って、三上山を御神体とする「御上(みかみ)神社」を目指そう。

国道8号線をひたすら歩く。

途中にラーメン店を発見した。
京都や大阪北部で良く見られるチェーン店「RR亭」の本店である。
これは行って見ないと…。
本店とは云え、支店と同じ規格化された店の造りである。
味も変わらない。醤油味の背油ラーメンを美味しく頂いたのであった。

「御上神社」は孝霊天皇の時代の創建と云われている。
天之御影命 (あめのみかげのみこと)を祀る。
本殿は国宝に指定されている。
その他、拝殿、楼門、若宮神社は重要文化財である。
お参りしご朱印を頂き、神社を後にしたのであった。

神社の南には暴れ川の野洲川がある。
この野洲川の治水をどうするかが、この辺りの昔からの課題である。

近年になって、野洲川の三角州の中に川を開削して、水害は無くなったとのとのことである。
大阪の安治川開削と同じ考えである。

野洲川を見て、さあ駅に戻ろう。
と云っても2km位はある。
30分掛けて、何とか駅に戻った野洲の稔り多い探訪であった。

〔やノ駅 完〕