「ま」の駅は京都にある丸太町駅である。
どちらの丸太町? と思われる方もおられよう。
実は丸太町駅は5年前までは2つあったのである。
一つは京都地下鉄、もう一つは京阪電車である。

同じ駅名なので、観光や出張で来た人は乗換駅だろうと思うのは当たり前である。
歩いてみるとかなり遠い。
地下鉄からは、河原町通りまで大区画を歩き、その先鴨川を渡ってやっとである。
恐らく苦情が多く両方の事業者に寄せられたのであろう。

先に開通した地下鉄に優先権が有ったのであろうか?
それとも民間鉄道であることで顧客主義に徹したのであろうか?
京阪側が「神宮丸太町」と名称変更したのであった。
しかし、平安神宮までは歩くとかなりなものなので、別の注意を要するが…。

さて、地下鉄の丸太町駅で下車をしてみる。
地下鉄は烏丸(からすま)通りを走っているので、下車したところは烏丸丸太町である。
この場所は宮内庁管轄の京都御所を含む環境省管轄の京都御苑の西南の角である。

少し付近を歩いて見る。

先ずは東方向、丸太町通りの左は御苑の外壁、右側は低層のビルである。
暫く行くと外壁の開口部があり、御苑への入り口となっている。
御苑へ入ると長くなるので、今回はパスする。

次にまた御苑への入口がある。
ここは立派な門構えである。
「堺町御門(さかいまちごもん)」という。
京都の祭りでは行列の御苑からの出口となるところである。

「葵祭」「時代祭」は皇室が関係しているので、御所の中で出発の儀を執り行い、御所の南門である建礼門を経て御苑の中を南下し、この堺町御門から丸太町通りへと進むようになっている。
尚、葵祭は通りを東へ向かい河原町通りを北上するが、時代祭は西へ向かい烏丸通りを南下する行列を行う。

堺町御門から少し東へ行った道路の右手、南側には京都地方裁判所がある。
恐らくドラマでは一番出場回数の多い裁判所であろう。
裁判所の横・裏には弁護士関係の事務所が沢山見えてもいる。
ここで折り返しであるが、この先は河原町通りと交差し、その先、鴨川を渡り「神宮丸太町駅」に至ることになるのである。

丸太町の名前の由来であるが、かつてにこの通りに丸太を商う材木商が多かったことから、そのままの名が付けられたものである。

次は、烏丸通りを北へ行ってみる。
右手の御苑の御門を辿って行く。
まず最初にあるのは「下立売御門」、通りの向かいには、菅原天満宮や平安女学院がある。

続いて良くご存じの「蛤御門」である。
幕末に、長州藩が公家三条家と結託して、天皇を誘拐しようとたくらみ御所に押し寄せた。
それを京都守護職松平容保(かたもり)の会津藩と薩摩連合軍で追い散らした戦いを物語る御門である。
禁門の変または蛤御門の変と云われる。
御門の門柱や門扉にはその時の鉄砲傷と云われている1~2cm位の傷が沢山ついている。

蛤御門まで来る間の道の向こうには、PSホテル、護王神社、京都GPホテルがある。

護王神社は、平安京の造営に功績があった和気清麻呂公を祀っていて、狛犬の代わりに狛猪があることから「 いのしし神社」とも呼ばれている。

この辺りで丁度御苑の半分来たことになるので、今回はUターンである。

次は南へ向かう。
南はビジネス街である。
直ぐ左手に京都新聞本社、右手に京都商工会議所のビルがある。
この辺りからは、中層ぐらいのビルが続き、四条通りや五条通りのビジネス繁華街に向かうのであるが特段の面白味は無いので、ここまでとする。

最後は西方向である。
丸太町通りを西へと進む。

この通りは、民家や商店など低層のビルが並ぶ。
暫く行くと右手に開けた場所がある。
日赤病院があり、その横には広い通りが北に向かっている。
釜座(かまんざ)通りである。
京都府庁の正面へ行く道である。

京都府庁は下立売通りに南面して正門がある。
この府庁の正面、旧本館は国の重要文化財に指定されている。

 

 

 

府庁の横には京都府警本部がある。
京都府警も警視庁に次いでテレビドラマには良く出てくるところである。

 

 

 

ここから元の丸太町通りに戻り、周辺ウオッチングは終了とした。

〔まノ駅 完〕