大阪・京都を結ぶ京阪電車本線には「ふ」の付く駅が3駅連続しているところがある。
京都市内の伏見区で、大阪側から藤森(ふじのもり)、深草(ふかくさ)、伏見稲荷(ふしみいなり)である。

今回はこの3駅を順番に訪ねてみることにする。
この3駅に限ったことであるが、直ぐ西には師団街道、直ぐ東には琵琶湖疏水、そして旧の伏見(伏水)街道が通っている。

先ずは「藤森駅」である。
この駅は京都市内を通る名神高速道路の真下にある駅である。
駅ホームの上を高速道路が走っている。

駅を出て東の伏見街道へ出て、南下してみる。
この辺りの住所地は「直違橋(すじかいばし)」という。

街道と七瀬川が斜交していて、アーチ橋にして橋の強度を持たすという筋交いの工夫をしたことから付けられたと云われる。

 

 

 

更に南へ下がる。
と左手に「藤森神社」の鳥居が現れる。
勝ち運の神様である。
馬の字を裏返したお札がお守りになるらしい。
京都では競馬ファンがお参りする神社としてよく知られている。
創建は古く、神功(じんぐう)皇后が203年に三韓征伐の戦勝記念に素戔嗚尊を祀ったと云われている。
その後、東宮に天武天皇の息子の舎人親王、西宮に桓武天皇の兄弟の早良親王も祀られている。
お参りして、ついでに東隣にある京都教育大学の広いキャンパスも拝見した。

北へと戻る。

名神高速を潜った右手に、綺麗な学校がある。
聖母女学院と云う総合学園である。
日本の学校で1、2を争う綺麗さであろう。

この建物は旧陸軍第16師団の本館であったと云う。
爆撃にあっていないので、そのまま残っているのである。
因みに京阪電車の線路の西にある師団街道は、この師団から名付けられたものである。

師団街道を北へと向かう。
龍谷大学の深草キャンパス、その北に京都府の警察学校がある。
この辺りは深草駅の西側である。

深草駅を訪れてみる。
階段を上がり改札を通り過ぎて東側に出る。
琵琶湖疏水の真上である。

深草駅の東の山麓には知る人ぞ知る有名な寺があるので、訪れてみよう。

 

住宅地の中を進むと「石峯寺(せきほうじ)」と云う石柱が見えてくる。
この石峯寺は絵師の伊藤若冲(じゃくちゅう)が大いに関係する黄檗宗の寺である。

この寺の境内裏山にある五百羅漢の石像群は、伊藤若冲が下絵を描き、当寺の住職と協力して制作したものである。
今なお「若冲五百羅漢」として親しまれている。

若冲は江戸時代享保の頃、京・錦小路にあった青物流通問屋の跡取り息子として生まれたが、家業は勿論のこと、絵を描くこと以外にには一切興味を示さず、そのあおりで実家は大変な混乱に巻き込まれたのであったが、それはそれとして絵師としては大成した人物である。
その生涯も石峯寺門前の自宅で閉じ、同寺に葬られた。
そしてこの寺には若冲の墓もある。

次はその南の「宝塔寺」である。
平安時代、藤原基経が発願し嫡子藤原時平が建立した極楽寺が前身とされ、開基は基経、僧日像が開山した日蓮宗の寺とされている。

寺名からも推察できるようにとりわけ多宝塔が綺麗である。
この室町時代建造の多宝塔、総門と江戸初期に建造された本堂が重要文化財になっている。
また、境内を登って行くと、日像上人の廟所も祀られている。

伏見街道まで戻り、今度は北へと歩く。
少しでJR稲荷駅に到達する。
その駅前から幅広い伏見稲荷への参道が続いている。
正面に見えるのが豊臣秀吉が建てたと云われている見事な楼門である。
伏見稲荷は今から1300年以上も前に秦氏の手によって創建された神社である。
山全体が境内であり、多くの祈願所がある。

今回は重要文化財である本堂にお参りし、ご朱印を頂いて、本堂横から多くの朱塗りの鳥居が連続して参道を形成している「千本鳥居」を往復してみた。

裏参道から駅へと戻る。
多くのお店が軒を並べている。
さすがに歴史を感じる門前町である。

間もなく「伏見稲荷駅」に到着する。
このまま電車に乗るのも惜しいので、西側を見てみよう。
少し行くと学校「伏見工業高校」がある。
ラグビーで一時代を築いた学校である。

駅まで引き返し、3駅探訪は終了とした。

〔ふノ駅 完〕