「の」の駅はJR片町線、愛称学研都市線の「野崎駅」である。
野崎駅は快速が停車する「住道(すみのどう)駅」と「四条畷(しじょうなわて)駅」に挟まれた各停のみが停車する駅である。

この駅は住道駅と同じ大東市域にある。
因みに、北隣の四条畷駅も四条畷市では無く大東市域にあり、大東市は小さい市ながら3駅もあると云うことになっている。
また、この野崎というところには野崎参りで有名な観音さんがあり、良く知られているところでもある。

野崎駅で下車し付近を散策してみる。
しかし、前のシリーズ「街角ウオッチング」で西側の深野地区を歩いたので、今回は南地区と東側の地区とする。

野崎駅のすぐ西側で、南北に通っている大阪外環状線国道170号線の高架部分が跨いでいる。
この外環状線、通称「外環(そとかん)」に沿って南下してみる。

通行量の多い道路である。
お馴染みの外食産業の店が所々にある。
今は全国どこへ行っても同じような店が並ぶ光景に触れる。
都市の画一化の時代である。

暫く行くと、東西に走る自動車道路と直交する。
生駒山を越える阪奈道路である。
その左右に学校がある。

先ずは左手、大阪府立の野崎高校である。
右手には大阪府の消防学校がある。

更に進む、左手には病院があって、その先に大きな学校がある。
大阪産業大学と云う。
また、右手、産業大学の正面に、新しいデザインも綺麗な学校がある。
有名な大阪桐蔭中・高である。

大阪桐蔭はスポーツ、特に野球・ラグビーで全国的に良く知られている。
プロで活躍している選手も多い。
西武のおかわりくん中村、日ハムの中田、阪神の西岡、藤波などが、よくスポーツ紙を賑わす。
野球では、甲子園全国優勝4回、うち春夏連続1回である。
ラグビーでは花園出場7回、選抜大会優勝1回の戦績である。

文化系でも有名なクラブがある。
吹奏楽部である。
全国大会の常連校で、今までにコンクール金賞3年連続、マーテングコンテスト金賞3回の実績を持つ。
専用の練習場を保有しており、入試前にオーディションを実施していることでも知られる。

大阪産業大学の構内を通り抜け、東に向かう。
通り抜けたところが東高野街道という古くからの歴史街道である。
この道を北へと向かう。

阪奈道路を渡り返して、カラー舗装されている道を狭い街中へと入って行く。
さすがに古い道である。
立派な農民家が沢山見られる。
勿論、新しい民家やマンションもある。
眺めながら、野崎観音の参道まで辿り着いたのであった。

ここから右へと進む。
参道はコンクリートタイルで舗装されている。
左手に「野崎観音慈眼禅寺」「観世音菩薩」という2本の標柱が建てられている。
野崎観音は禅宗曹洞宗の寺である。

参道は直ぐに石段となる。
100段程度ある石段を上って寺門に到達した。
そこから野崎駅前は勿論のこと、遠く京橋や梅田辺りのビルが見える。

寺門を入ると左手の一段高いところに本堂がある。
先ずはお参りである。
お参りを済ませ、ふと本堂の屋根裏を見上げると、張り子の犬のお守りらしきが鈴なりにぶら下げられている。

野崎観音は奈良時代に東大寺大仏の開眼のため中国からやってきた婆羅門僧正が
「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ている」
とこちらの僧行基に言ったことから、行基様が十一面観世音菩薩を彫みこの地に安置したのが始まりと云われている。

その後、戦国時代に三好・松永の兵によって全焼し、唯一残された十一面観音を小さな堂で祀っていたが、江戸時代になって青厳和尚がこの寺を復興され、元禄の頃から有名な野崎参りとして信仰を集めたと云われる。

寺務所へ行きご朱印を頂き、境内を散策してみる。
山側奥まったところに近松半二「新版歌祭文」でおなじみの「お染久松の塚」がある。
その近くに文化財の九重の石塔もある。
また本堂正面には禅宗曹洞宗様の寺門も設けられている。

境内を一巡し、茶店で少し休ませていただいて下山、野崎の参道商店街を歩いて、駅前の川を
朱塗りの橋で渡り、野崎駅到着したのであった。

〔のノ駅 完〕