JR奈良駅は、乗換え・乗り継ぎでは良く利用するが、下車してそこから奈良の街を訪れることはまずない。
殆どの場合、近鉄奈良駅の下車となる。

この奈良駅、かつて奈良探歩の途中で、古都色にマッチした駅舎を眺め、どこの駅にも無い風景に驚いたものである。

JR奈良駅が建て替えられる時、旧駅舎が不要となっていたが、地元の方々の保存運動の甲斐あって、現在も奈良駅前の広場に鎮座し、観光案内所として活用されているのは素晴らしいことである。

 

奈良駅で下車し、駅ビルを西に出ると、バス停群の向こうに大きな鯨のような建物が見える。

何だろう・と思って近づいて見てみると「なら100年会館」と云う建物である。
ロビーでパンフレットを見ると、奈良市政100周年を記念して建てられた県内最大のホールとのこと。
設計は有名な建築家の磯崎新(あらた)氏である。

余談であるが、京都の洛北にあるコンサートホールも円形の黒っぽい建物であるが、これも磯崎氏の設計で成る程と頷ける。
このような近年の著名な建築家と云えば、丹下健三、西山卯三、安藤忠雄、高松伸が浮かぶが、良くご存じの多くの素晴らしい建築物を手掛けて一時代を築いていることには敬服に値する。

なら100年会館から西に進む。
学校がある。
門柱を見ると「奈良女子高校」とある。
奈良女子大の附属とも違うようだし、何だろう?
後で調べてみると前の名前は「白藤高校」、それならわかる。
ソフト、バレー、卓球の強い学校である。

学校の北の道「三条通り」をさらに西へ進む。
この辺りは大宮町と云う。
途中で北に折れて大宮小学校の前を通り、新大宮の駅付近まで来たので、ここでUターンをして、奈良駅に戻る方向で歩いた。

気が付かなかったが、奈良駅まで来て駅舎の西面を見てみると、窓はカラフルな装飾がされている。
絵の具のパレットのようである。

奈良駅を東に潜り、今度は東方向へ行って見る。
やはり辿るのは三条通である。
この辺りは、奈良公園からは遠いので、十分に観光化はされていないが、それなりの店舗も見られる。
奈良公園をめざし進んで行く。

途中に広い南北の道「やすらぎの道」と交差する。
交差点は上三条町、ここから少し南へ下がることにする。
少し下がった右手に難読の神社がある。
「率川(いさかわ)神社」という。
住所地は「本子守町」、何か意味ありげな町名である。

率川神社は飛鳥時代の創建で奈良一宮「大神(おおみわ)神社」の摂社である。
奈良市最古の神社と云われる。
祭神は神武天皇の皇后の姫・媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)とその両親であり、春日造り三棟の本殿が並べて建てられている。
子供を挟んで両親が祀られていると云うことから、子守神社と云われ、安産、育児、生育安全、家庭円満の神として篤い信仰を集めている。

そして町名の子守町もこの神社に由来するものである。
お参りしご朱印を頂き、神社を後にしたのであった。

神社前のやすらぎの道を渡り、東へと路地を歩く。
途中に暗渠となっている率川とその上に架けられていた橋が残っている。

大きな町屋がある。
蔵もあり酒蔵かと思いきや、奈良墨の老舗、古梅園という大店であった。
ここら辺りは椿井(つばい)町、老舗の前には椿井小学校がある。

学校の横を通り更に東へと進む。
アーケードの商店街と交差する。
商店街の名は「餅飯殿(もちいどの)」である。

大峰山の大蛇退治に謂れのある名前の商店街である。
この商店街を右へ、南へ行けば「ならまち」、北へ行けば東向(ひがしむき)商店街を経て、近鉄奈良駅に至る。

北へ行き三条通を東へ進む。
猿沢の池に出る。
池のほとりから興福寺の五重塔を見上げながら、この探索を終了とした。

〔なノ駅 完〕