大阪市の南部、西成区に天下茶屋(てんがちゃや)という駅がある。
大阪地下鉄の堺筋線の終点駅である。
また南海電車の本線、高野線の駅もある。

「て」の駅をこの天下茶屋駅として、この駅名の由来などを見てみることにする。

それにしてもこの「天下」とはどういう意味であろうか。

天下には2つの意味がある。
先ずは、「箱根の山は天下の険」「大坂は天下の台所」などである。
これは日本一の、あるいは比類を見ない、との意味で国や場所に関わるものであろう。

また、「カカア天下」「三日天下」や「若者の天下」などは、やりたい放題にやる、あるいは支配するという、人の状態を表すものであろう。

天下茶屋は果たしてどちらなのか?
日本一の茶屋なのか? やりたい放題にやる人に関係する茶屋なのか?

調べてみると「天下茶屋跡」と云うのがある。
天下茶屋駅の南の方である。
南海線の直ぐ南の駅「岸里玉出駅」のすぐ東側らしい。
先ずは、この駅まで行って下車し、歩いて見た。

駅から五分程で天下茶屋跡に到着する。
狭いところである。
遺跡の碑、蔵、祠、そして大きな楠木、この4点で一杯である。

元は5000㎡の大きな屋敷があったとの説明がある。
例にもれず太平洋戦争の空爆で破壊されたとのことである。

この天下茶屋、太閤秀吉が住吉詣での行き帰りに、この屋敷の茶屋に立ち寄って、秀吉好みの名水「恵水」で、千利休が茶を点てたとある。
少し東には住吉街道が通っているが、屋敷はこの街道まであったとのことである。
天下を取った秀吉が立ち寄った茶屋があったと云うことで、後世に、この辺りが天下茶屋と命名されたと云うのが正しそうである。

街道の向こうは「紹鴎の森」と云い、千利休の師、武野紹鴎(じょうおう)の住まいがあった所で、現在は「紹鴎森天満宮」となっている。

天下茶屋跡の周辺を探訪してみる。

先ずは直ぐ東の天満宮である。
普通の天満宮であるが、境内には「天下茶屋あだ討ち供養塔」と云うのがある。

説明によると、江戸時代初期、備前の人、林源次郎が父と兄のかたき当麻三郎衛門を討ち、本懐を遂げたと伝えられる。
この神社の南50mにあった橋の袂に供養のため2大宝塔が建てられたが、道路拡張工事のために移動させられ、この神社に収まっているとのことである。

尚、この天満宮、勿論菅原道真を祀る神社であるが、その由緒は道真が九州大宰府に左遷され赴任する時に、この地で休息したという場所とのこと。
祠を立て、後に正式に京都の北野天満宮から祭神を勧請したとのことである

お参りし、神職がおられたのでご朱印を頂き、神社を後にしたのであった。

もう少し東へ行って見る。
上町線の電車の線路を渡る。
この辺りの住所地は「天神の森」という。

まだ先へ行く。 住所地は「北畠」となる。
なぜ、北畠なのだろう?
その答えは直ぐに分かることになる。

その先に、鳥居があり、阿部野(あべの)神社と云うのがある。
安倍晴明(あべのせいめい)を祀る神社かと一瞬思ったが、ちょっと前に晴明の神社はお参りしたことがあったが…。
とにかく行ってみよう参道を進んだ。

少し上り坂の上にある大きな神社である。
由緒書きを見てみると、祭神は「北畠親房(きたばたけちかふさ)」「北畠顕家」の両公である。
後醍醐天皇の信任が厚く、頼家は最後まで足利軍と戦ったが残念ながら敗れたのであった。
その時は若干21歳、花将軍と謳われた悲運の貴公子であった。

この神社の地は、足利軍と戦った戦場と云うことで、その跡地に両公をお祀りしているとのことである。
境内には近くの学校の校歌が数多く掲げられているのも他の神社にない特徴であろう。

ご朱印を頂き、本命の天下茶屋の駅に行こう。

神社を出て今度は紀州街道を北へと進む。

途中に名前は分からないが公園がある。
この公園の中に、松崎町にあった阿倍氏の氏寺と云われる阿倍寺の塔心礎が置かれている。

公園を横切り、南海電車の高架まで出た。
この辺りの住所地は天下茶屋である。

地下鉄、南海と駅が対面しているが、今度は地下鉄にのって、大阪の中心部へと戻ったのであった。

〔てノ駅 完〕