東京の祖師谷、それに似て非なるところ雑司が谷、東京にたまにしか行かない訪問者にとっては、場所が何処なのか?読み方はどうなのか?場所も入れ替わったりして混乱する地名である。

今までこの両方には行ったことが無かった。
今回は先ず手始めに祖師谷を訪れてみることにする。

祖師谷は小田急本線の各停に乗って「祖師ヶ谷大蔵」で下車するとその北側に広がる街である。
駅名には何故か「ヶ」が挟まれている。
かつてこの駅で降りて南にある某公共放送の研究所に行ったことはあったが、そこは祖師谷ではない。
駅の北側は全くの初めてである。
この機会に祖師谷の街を可能な限り歩いてみることにする。

先ずは小田急の高架線路沿いに西に向かう。
右手は普通の住宅地である。
暫く行くと川に出会う。
そして川の向こうに学校がある。
川べりの遊歩道に降りて、その道を北に進むことにする。

川の名は仙川、学校の名前は成城学園、幼、小、中、高、大を備える学園である。
綺麗な建築物である。
この学校は裕福な家庭の子女が通うところであるとよく聞く。
少し距離を置いて、違うものとして眺めざるを得ない。

川の左岸、祖師谷側の遊歩道を遡る。
川の向かい側、右岸はの地名は成城である。
川の両側とも結構な住宅が並んでいる。
さすが世田谷という感じである。

歩きながら何の気なしに民家の屋根を眺めてみた。
余談であるが、アナログテレビ時代の大きなVHFのアンテナとUHFのアンテナがそのままにされているところが多いのには少し驚いた。
このUHFアンテナで地デジを受信していると思われるが、時代に合わせてアンテナもスッキリして欲しいものである。

川沿いの遊歩道は歩行者はまばらであるが、猛スピードの自転車が多く走っている。
前から来る場合は良いが、後ろからの場合はドキッとさせられ危なく感じる。
それも自転車は若いお母さん風が多い。
遊歩道に隣接している成城幼稚園へ子供を送り届けた帰りであろうか?
車が来ないのを良いことに、わがもの顔で飛ばす。
万が一、事故を起こすと取り返しがつかないことを認識すべきであろう。

その幼稚園と隣接する小学校を過ぎると「稲荷山橋」に至る。
その橋を横目に見て更に遡り「大石(たいし)橋」に至る。
橋の道を右手に取り、寄り道をする。
予め調べておいた祖師堂を見るためである。

住宅街の中を探すと「日蓮宗祖師堂」を見つけた。
このお堂、経緯は諸説あるらしいが祖師谷の由来となったお堂である。
元々は後程訪れる釣鐘池の北側の高台の地福寺に祖師堂があったと云われている。
しかしここの建物はかなり新しい建物である。
昔のものとどう繋がっているのか?わからないが、祖師谷の地名の由来の祖師堂であることは確かである。

元の大石橋に戻る。
ここからは左岸に道は無い。
右岸を遡ることになるが、その前に横道に少し逸れて、観世音堂、薬師堂を見てみる。
お堂は木立の中にそっと佇んでいる。
どちらも江戸初期から中期にかけて村民の手で建立されたもので、観音様は「子育て観音」、薬師様は眼病に御利益があるということである。

右岸の遊歩道に戻り、川上へと歩く。
遊歩道は小高い丘の切り通しのような形になっている。
程なく「祖師谷公園」の入口である「鞍橋」に到着し、そこから公園に入って行く。
この辺りは上祖師谷、昔の上祖師谷村である。
公園内では、近所の保育園児であろうか?先生に連れられ集団遊びをしている。

公園内の川沿いには沢山の桜の木が植えられている。
この桜は「里帰りの桜」と云われる。
今から100年前に東京市長から米国ワシントン市に贈られた有名なポトマック川畔の桜から育てられた苗木が里帰りを果たし、ここに植えられたものである。
桜の季節は見事なものであろうと想像できる。

公園はかなり広い。
奥に行くに従って徐々に登りとなる。
公園を出たところに「神明社」という社がある。
創建は江戸時代である。
ここ上祖師谷の人々の守り神としてずうっと祀られて来ている。
お参りして、由緒板などを見て回った。

神社を辞し、神社下の宮下橋で仙川を渡る。
渡った左手には、駒大野球部の大きな練習グラウンドがあり、多くの部員たちが練習中であった。

今度は川の左岸(東側)の公園部分を下ることにする。
右岸は丘陵地だったが、左岸は平地である。

スケボーの練習場やテニスコート、ゲートボール場まである。
梅の花、菜の花が綺麗に咲いているのが印象的であった。

公園入口の鞍橋まで戻る。
ここから祖師谷の住宅街のウオッチングとなる。
東にある高台へと登って行く。
かなりな急坂である。
登り詰めたところの平地を少し先に行くとそこは「上祖師谷公園」通称「パンダ公園」である。
ここも園児たちが先生に連れられて遊んでいる。

ここから釣鐘池を目指すが、案内看板も地図もないので感覚だけが頼りである。
迷いに迷ってやっとの思いで釣鐘池に到着した。
この辺りは上祖師谷ではなく単なる祖師谷、旧下祖師谷村である。

釣鐘池はこの祖師谷では希少価値のある湧水池である。
かつては、子供達はザリガニ捕りや水遊びを楽しんだり、大人達は水道が無かった時代には野菜や食器などを洗う場所として「洗い場組合」を作って水を大切に守ってきたところである。
その意味で、池に弁天様が祀られている。
この池がなぜに釣鐘池と名付けられたかであるが、それはこの池の上にあった地福寺という寺が関係している。

その言い伝えは、
『ある年、日照続きでこの辺りに一適の雨も降らない年があり、田畑は乾き作物は枯れ人々は飢えと乾きに喘いでいた。
これを見かねた「地福寺」の高僧は村人と一緒になって雨乞いの行事を行い、お経を唱えたが、その効果は無かった。
ある夜、高僧はお釈迦様のお告げを受たと云う。
それは、人知れず「地福寺」の釣鐘と一緒に池に入り、直接「水神様」にお願いをするというものであった。
高僧はお釈迦様のお告げに従い、深夜人々が寝静まった頃、お寺の鐘を抱いて池に身を沈めたと云う。
すると、たちまち大雨が降り出したのであった。
それ以来、祖師谷の村では高僧への感謝を忘れ無かった。
どんな日照りの時でも、この池の水だけは枯れたことがないという事に由来して、この池を「釣鐘池(つりがね池)」と名づけたと云われる』

釣鐘池から南に向かう。
鎮守の森があり、ここにも神明社が祀られている。
先程の神明社は上祖師谷の守り神であったが、ここは下祖師谷(現祖師谷)の守り神である。
ここにもお参りして、隣の幼稚園の前を通り、右折して駅に向かう直線道路へ出た。

暫く行くと尖塔を持った綺麗な教会を右手奥に見る。
そのあたりから「ふれあい遊歩道」という公園が続き、気がつくと道の両側は商店街の並びとなって来ていた。

ふと上を見上げると「ウルトラマン商店街」の旗が街灯に吊り下げられている。
なぜにウルトラマン?
これは良くは分からない。
聞いて見るしかない。
その結果、ウルトラマンを生んだ円谷プロダクションが以前、祖師ヶ谷大蔵駅の南の東宝撮影所のある砧と云うところにあって、ここはウルトラマン誕生の地としてのゆかりがあると云うことから名付けたと云うことであった。

しかしこの商店街はとても長い。
なかなか駅に到着しない。
15分ぐらいは商店街を歩いたであろうか?
やっとのことで祖師ヶ谷大蔵駅に戻ったのであった。
祖師谷(そしがや)のウオッチングはここで終了である。

新宿に戻り、メトロ副都心線に乗って、引き続き雑司が谷(ぞうしがや)のウオッチングをしてみよう。

〔完〕