「こ」の駅はJR東海道線の「甲子園口駅」を選んだ。
甲子園口駅は大阪から尼崎市を通り、武庫川を渡って西宮市に入った直ぐの所にある駅である。
阪神淡路大震災の直後には、JRは大阪駅方向からはこの甲子園口駅まで通じていた。
この駅より西方面の方たちはこの駅まで延々歩いて大阪へ通勤や通学したと聞いている。
リュックを背負いマスクを掛けた姿が震災後の歩きスタイルになっていた。
小生も神戸の社員を見舞うのに、この駅で降りて延々歩いたのを覚えている。
その時以来甲子園口駅で下車したことは無い。

甲子園口と云うからには甲子園球場へ行くことができる駅であろう?
しかし遠そうである。
どれくらいの時間で行けるのだろうか?
今回、歩いてみることにしたのである。

甲子園口駅を降りると、甲子園球場の方向を示す矢印がある。
いかにも歩いて行けるような雰囲気である。

駅前ロータリー右手にには、バット三本と大き目のボールで造られたモニュメントがある。
甲子園球場と野球の街であることを表しているのであろう。

 

駅前から南下する道の一つに「甲子園口本通商店街」と書かれたゲート看板が上がっている。
両側の歩道には庇屋根が掛けられている。
先ずはこの商店街を歩いてみる。

時々横の路地を見ながら進む。
住所地は甲子園口と云う。
公園があったり、目ぼしそうなものが見えたりすると、近くまで行ってみるので時間はかかる。
途中から「甲子園口センター街」というアーケード街に通りを換えた。
このセンター街を抜けると元の商店街通りと合流し、その合流点に「榮徳大神」と云う標柱と祠がある。

元の道の商店街は、この辺りまで「甲子園口中央商店街」、ここから南は「南商店街」である。
さすがに古い商店街であるので、どこの街角でも見られるような全国チェーンの店はない。
立派である。

暫く行くと大きな道路との交差点に出る。
上甲子園交番前という交差点と、国道2号線である。
これを渡ると、水路沿いに道があり、その入り口に地蔵の祠がある。
ここら辺りの住所地は上甲子園、この水路に沿って南下することにする。

水路沿いには家ごとに橋が架けられている。
玄関にしているところもあれば、裏口にしているところもある。
自由である。

水路には澄んだ水が流れていて、鮒であろうか、魚の群れが遡行している。
交通量の少ない道であるので、時々ウオーキングの方やベビーカーの人と出会う。
のんびりした光景である。

広い道と出会う。今津と鳴尾を結ぶ自動車道である。
水路に「三保橋」が架かっている。
住所地は甲子園三保町である。
この辺りから住所地「甲子園〇〇町」が始まる。

ここから道は水路と別れ、住宅街の中を進む。
閑静な住宅街である。
マンションと個人住宅が並ぶところである。

住所は「甲子園砂田町」、「甲子園六石町」、「甲子園浦風町」と次々と変わって行く。
浦風町辺りまで来ると、企業の寮やら研修所やらがやたら多くなる。

阪神電車の高架線路が見えてくる。
東側の広い道に出ると、阪神駅が目の前、それを潜ると甲子園球場である。

野球の無い日であった。
人も殆どいない
球場の周りを反時計回りに歩いてみる。

スタンドの下にはタイガーズショップがある。
右手の奥の方には、ベーブルースの碑、金本の記念碑などが建っている。

更に回る。
神社がある。
甲子園素戔嗚(すさのお)神社である。
綺麗に整備されている。

お参りし、ご朱印を頂き、神官に聞いてみた。
「10月は神無月なので、神さんがみな出雲へ行ってると云われてますが? どうなんですか?」
「我々の知らない間に抜け出て、知らない間に帰って来てるんです。ただ神さんは沢山の分身があるので、どの神が行っているかは誰も分からないことです」
と、神は各神社にいつもちゃんと鎮座しているとの答えであった。

神無月で「神が無い」と云うのは俗説で、本当は「無」は「の」なので「神の月」が正しいのであるが、世間に迎合した神官の答えは面白かった。

甲子園口から横道逸れながら、ここまで約1時間かかった歩きであった。

〔こノ駅 完〕