「こ」の付く酒、「古都」を手に入れた。
京都市内、それも「洛中」にある唯一の酒蔵「SSK酒造」の醸造である。

酒蔵の場所は二条城の直ぐ北、かつての秀吉が創った聚楽第の南の端にあたる所である。
そこにあることから、このSSK酒造は「聚楽第」と云う銘柄で良く知られている。

このSSK酒造の創業は明治の中ごろである。
千年の古都を誇る京都では300年続いて一人前、100年ぐらいではまだまだ鼻たれ小僧だそうである。

京都の街は三方を山に囲まれているので、周辺の山からの伏流水は出口を失い、盆地の底に大量に溜まっている。
京の街の地中には縦33km、横12kmにも及ぶ大きな岩盤に囲まれた水瓶があるそうである。
その水瓶には琵琶湖の水量に近い水が蓄えてられていて、その水があったからこそ1000年もの長きに渡り都が置かれたとも云われている。
古来、京都ではこの地下水を汲み上げて、お茶の家元はもちろん、豆腐や湯葉、生麩など、水の産業が今も洛中に多く残っているのは、その理由によるものである。

勿論のこと酒蔵もあった。
室町中期には300軒もあって、日本最大の酒処であったと云われる。
但しこの時代の酒は、濁り酒である。
SSK酒造が創業した明治の中ごろでも130軒の酒屋があった。
しかし市場が京都だけなの小さなものなので、シェア争いで自然淘汰され、今はこのSSK酒造だけしか残っていない。

聚楽第に関わるが、秀吉がこの場所に聚楽第を築いたのも、一説にはお茶に適する水があったからであると云われている。

今回入手した酒は「古都大吟醸おりがらみ」という酒である。
純米酒ではなく、調整用に醸造用アルコールを混合したものである。
能書きには、『新酒の大吟醸をしぼったそのまま瓶詰しました。新酒特有の華やかな香りと「おり」の持つうまみとが調和した味わいは、おりがらみ新酒ならでは』とある。
アルコール度17度、精米歩合50%、日本酒度+4となっている。

古都と云う酒銘はノーベル賞作家・川端康成が「この酒の風味こそ京都の味」と、自身の著作「古都」の作品名を揮毫したものである。

さて入手した「古都」と云う酒、おりがらみであるので少し白濁している。
濁り酒とは違い、新酒を濾過した時に、その濾を潜り抜けてくるミクロの白濁である。
普通はこのおりを沈殿させて上澄みを大吟醸として提供するのであるが、おりの混ざった部分をおり酒として出荷したのがこの酒である。

早速頂いてみる。
おりが混ざっているので、多少の甘味を感じるが、度数が高いためでもあろうかやはり濃厚である。
そして喉越しは辛口である。
この酒は京都の人の好きな濃厚な味である。
京料理は大抵の場合は薄味であるので、この酒が良く合うのであろうと思われる。

話は変わるがSSK酒造と云えば、ご存じの方はご存じであろうが、俳優・佐々木蔵之介の実家である。
『オードリー』『風林火山』『ハンチョウ』などのタイトルで良く知られている。
酒蔵の名はあまり知られていないが、佐々木蔵之介で良く知られるようになり、日本酒即売会などでは人気で、まず最初に完売となることが多い銘柄となっている。

俳優佐々木氏は、元々酒蔵を継ぐことで勉強していたと云われる。
一旦私学の農業大学に入学したものの、国大の農学部に入り直して、バイオロジーや酒米の研究をしたと云う。
そして卒業後、広告会社に入った。
同期には、ますだおかだの増田英彦がいたと云われる。

2年半で退職し、関西の劇団に入って活躍したが、それも退団し上京。
テレビドラマや映画へと活動範囲を広げ現在に至っている。

因みに蔵之介は3兄弟の真ん中、上の兄は「飲んで無くなってしまうものを造るのはいやだ」と云うことで、仕事したものが残る建築の道に進んだ。
蔵之介自身は酒屋になるつもりだったが、「俳優になる」と、これも出て行った。
そのためSSK酒造は一番下の弟が後継となっているのである。

いいこともある。
蔵之介が有名俳優になったことである。
その宣伝効果と相俟って、SSK酒造の酒は人気である。

京都では、秀吉の作った御土居の内側を洛中と云う。
その洛中において酒蔵を営む蔵は、今はこの酒蔵しかなくなってしまっている。
この洛中での酒造りの伝統を、是非とも守って頂きたいものである。

〔こノ酒 完〕