「け」の駅は「県庁前駅」である。
どこの県庁前かと云うと、兵庫県庁前、神戸市の地下鉄の駅である。

神戸の地下鉄に乗って、三宮から西へ行くと最初の駅がこの駅である。
歩いてもそう遠くはないが、ルールであるので地下鉄に乗ることにする。

駅は下山手通りの地下にある。
下車して地上に上がると、道の両側にきれいな建物が広がる場所に出る。

道の海側には、西から兵庫県警察本部の高層のビル、そして元兵庫県庁で歴史的建造物の兵庫県公館、そして被災して再建されたカトリックの栄光教会、これらである。

山手には、道路に沿った植え込みと、その向こうに兵庫県の県庁舎が何棟か直列に建っている。
警察に用はないのでパスし、公開されている兵庫県公館の北側の門から入ってみる。
建物の東側は、公園状になっていて、子供たちも遊んでいる。
正面に回ってみる。
正面は何とも趣がある。

公館の中では何かイベントが行われているようで、館内に入ることができるようだが、今回は外観を眺めるだけとする。

どこの県庁でもそうであるが、旧館をこのように保存出来ていることは、空襲から上手く逃れるとともに、その後の弛まぬ手入れ・管理も行っている、と云うことを示している。

公館の正面門から出る。
左手は中学校である。
生田中学と云う。
学校の塀に沿って坂道を下る。
広い道に出て、その向こうはJR線と元町駅である。

線路に沿って西に行く。
暫く行くと右手・山側に地下駐車場を備えた花隈公園と云うのがある。
公園への階段を上がって、説明看板を見てみる。
ここは花隈城の跡である。

説明板の記述は、
『花隈城は戦国時代、織田信長が中国へ勢力を伸ばす手段として、この土地に、摂津の武将荒木村重に命じて築かせた城である。
後に村重が信長に背いた時、花隈城は池田信輝らに攻められて、天正8年8月、落城したと云われる。
この場所は海に突き出たハナクマの名の通りの台地で、海陸の要害地であったところである。 城は東西約350メートル、南北約200メートルであったと思われる』(一部略)

今度は城の横から道を山手に上がることにする。
そこそこ傾斜があるので大変である。
暫く上がると、元の下山手通り、県庁の下まで来た。
県庁の横をもうワンピッチ上る。

次の交差点の右向こうに「四宮神社」がある。
行ってみる。
弁財天を祀る神社で、生田神社七社の内の4番目である。
お参りして、ご朱印を頂いたのであった。

神社の横を上がって行く。
左手に学校がある。
神戸YT大学の現在的なデザインの校舎がある。

道を挟んで長い塀が連なる。
裏入口があったので見てみると、「相楽園」という庭園のようである。
何か良くは分からないので、後日ネットで調べてみた。
この相楽園は神戸市の都市公園で唯一の日本庭園だそうである。

相楽園は元神戸市長・小寺謙吉氏の先代である三田藩士・小寺泰次郎氏の本邸に営まれた庭園であった。
明治末期に完成したもので、昭和になって神戸市に譲られたものである。
旧小寺家厩舎、舟の屋形部分だけが移築された船屋形、北野から移築された旧ハッサム住宅などの重要文化財もあるとのことである。

さらに山の方に向かう。
大きな道路に出る。
この道は右東方向へ行けば北野の異人館に行ける通りである。

通りの向こうに公園がある。
「諏訪山公園」「諏訪神社」という。
諏訪山公園と云う名前は子供の頃ここに遠足かなにかで来たことがあるので覚えていた。

場所は分からなかったが、ここにあったのかと、納得した次第であった。

公園の前の道を下る。
高校野球で名前を聞く神港学園の横を通る。
その横下は、神戸市立こうべ小学校である。
その横を過ぎて、県庁の前まで戻ったのであった。

この場所で今回の探訪は終了とする。

〔けノ駅 完〕