「九条」と云う駅が京阪奈には3ヶ所4駅もある。
うまい具合に京都に1ヶ所、奈良に1ヶ所、そして大阪に1ヶ所である。
大阪のはその場所で鉄道が交差しているので、それぞれの線区の駅があり、2駅になっている。

そしてこの4駅とも近鉄電車が乗り入れているので、私鉄だけで、それも一社だけで繋がっていと云うのは極めて珍しい事例である。

それでは、近鉄車輛に乗ってそれぞれの駅を訪ねてみることにする。

先ずは京都の「九条駅」である。
近鉄京都線に乗って奈良方面から京都方面に向かう。
国際会議場行きの電車に乗ると、竹田駅から京都市営の地下鉄線に入り、「くいな橋」「十条」を過ぎて、3つ目の駅が「九条駅」である。

九条は九条通りにある駅である。
下車して地上に上がると、その先にはJR京都駅が見えていて、京都駅の直ぐ南の駅であることがわかる。
京都駅が近いので、この駅で乗らずに京都駅まで行ってしまう人が多いらしい。

西の方には歩道橋が邪魔して見えないが隣の大きな通り「堀川通り」の少し向こうにこの前に訪れた「東寺駅」がある。
その向こうに東寺があり、その先に羅城門(らじょうもん)址がある。

九条駅から東方向には、東福寺、泉涌寺があるが、歩くと少し遠い。

この九条駅で下車すると便利なこともある。
それは市バスの九条車庫がこの付近にあり、バスが頻繁に出ているからである。
行く場所にもよるが、清水や祇園、平安神宮の東山あたりへ行く場合は京都駅の喧騒を離れて、極めて便利である。

九条駅の由来は、勿論平安京の九条通り、そして現在の九条通りである。

次は京都を後に近鉄京都線で奈良へ向かう。
西大寺駅からは近鉄橿原線となり、唐招提寺や薬師寺のある西の京駅の次の「九条駅」で下車する。

この九条駅は各停しか停まらない駅である。
大和郡山市の北部にある。

先ず駅の東側に行ってみる。
駅前の南側には大きなマンションが並ぶ。
北側は農村地帯であるが、住宅開発も進んでいる。

広い道を進むと、途中大きく右に曲がっているが、その場所に「平城京西市跡」ある。
当時平城京には、東市、西市と市場が設けられていたその跡である。

道は南へと下がり、交差点があるのでそれを東へ進む。
秋篠川に出会う。
川沿いに東へ進むと「九条公園」と云うのがある。
スポーツ公園であり。体育館やグラウンドがある。
その一角に「富本銭(ふほんせん)出土地」とある。

富本銭と云えば和同開珎(わどうかいちん)よりも古い我が国最初の貨幣である。
明日香村の飛鳥池遺跡で大量に出土されているが、最初に発掘されたのがこの地とのことである。

秋篠川に沿って東に進む。
北から流れて来る佐保川と合流し、今度は佐保川沿いを南へと進む。
川沿いに大きな化学工場がある。KE化学社という。

南へ進むと自動車道に出る。それを東へ進む。
直ぐに「平城京羅城門跡公園」と云うのがある。
入ってみて、羅城門跡の石碑、それに古代大和に関する幾つかの歌碑を確認したのであった。

この公園の少し東側に国道24号線が南北に通っている。
その道路向こう側に大型ショッピングセンター「Iモール」がある。
この場所から元の九条駅に戻ることにする。

今度は九条駅の西側である。

西側は軽い起伏のある台地であるが、全体としては背丈の低い住宅地である。
歩いて見ると大きなお家も沢山ある。
閑静な住宅地と云うのであろうか。
住所標識には代官町とか城北町とかの名称が見られる郡山城の北の城下町地域でもある。

住宅地の間の道は結構狭いが南へ歩いてみる。
歩いてみるとやはり郡山である。
金魚の養殖池があちこちにみられる。

途中に代官池という説明板のあるところがある。
ここは郡山城の外堀の北限だったそうである。
この外堀の開拓には当時の城主・増田長盛が力を入れたと云われている。

暫く行くと郡山城の内堀と城壁に到達する。
その手前に植槻(うえつき)八幡神社と云うのがある。
お参りして、堀沿いの道を今度は西へと進む。
途中の植え込みの中に「平城京 九条大路跡 西三坊大路跡」の石柱がある。
成る程なるほど、この道が九条大路だったのか、と納得が行く。

右手には、天理教の大教会がある。
この教会の外壁沿いに歩いて、住宅街を通り抜け九条駅に戻ったのであった。

奈良の九条駅の由来も京都と同じ「九条通り」であったのである。

奈良を後に、今度は大阪の九条に向かう。
一旦西大寺へ戻り、大阪行きの近鉄電車に乗る。

大阪の九条へ行くルートは2つある。
生駒駅で大阪地下鉄に繋がっている近鉄けいはんな線に乗り換え、九条駅で降りる方法と、そのまま奈良線から難波(なんば)経由で阪神なんば線で九条駅に降りる方法である。
今回は前者の生駒乗換を選び、直線的に行ってみることにした。

この電車は長田駅を過ぎると大阪地下鉄中央線に入る。
本町、阿波座と過ぎ、九条駅で下車した。
地下鉄とはいえこの辺りは高架駅である。
駅の階段を降りて九条の街へ行くことにする。

先ずは東側である。
実は九条で行ってみたいところがあった。それは茨住吉神社である。

「ナインモール九条」というアーケード商店街を歩く。
自転車の多い商店街である。
この辺りの自転車のスピードは速い。
通りも広いからであろうか?

商店街を通り抜けると広い自動車道に出る。
「みなと通り」である。
この通りを北へと進む。

直ぐに神門、鳥居門と云うそうであるが、茨住吉神社である。

この神社は江戸時代初期に、この九条島が開拓されたと同時に祀られた神社である。
祭神は住吉三神と息長足媛命(おきながたらしひめのみこと)即ち神功皇后である。

太平洋戦争の空襲で破壊されその後再建されたものである。

拝殿本殿は2階だてで、お参りには両側にある階段を登ることになる。

茨の由来は、分祀した元住吉神社が神戸の菟原(うはら)郡住吉郷にあったからとか、この辺りには茨が生い茂っていたからとか云われている。

お参りして神社の裏手を駅に戻る。
松島新地である。それなりの店がたくさん並んでいる。
現在は松島料理組合という歓楽街になっている。

その誘惑に負けず、駅までたどり着いたのであった。

九条駅の西側を見てみる。
阪神電車が地上へと上がって来る。
そしてのその先は安治川トンネルで、安治川向こうの西九条の探索で来た所である。

この大阪の九条であるが、その地名・駅名の由来は良くは分からないが、江戸時代に新田開拓に関わる古語から来ていると云われている。

〔くノ駅 完〕