「お」の駅は在来線であるJR東海道線の名古屋・米原間にある尾張一宮と大垣を訪ねることにする。
これらは、もう一つの駅岐阜も含めて新幹線から離れているがゆえに、余り馴染みが無く、行ったことが無い駅である。

先ずは尾張一宮駅で下車した。
一之宮と云うからには尾張国の一之宮神社があるのであろう?
分からないまま駅の観光案内を訪れた。

「一之宮は『真清田(ますみだ)神社です。ここから歩いて10分もあれば行けます」
と親切に詳しい道案内も加えてくれたのであった。

早速、駅前の大きな通りを歩く。
何故か街灯には「七夕まつり」の垂れ幕が下がっている。
この時期に何だろう? 良くは分からない。

暫くして参道になっているアーケード商店街を左へ進む。
天井がかなり高い。
祭りか何かで背高い神輿が通るのであろうか? と勝手に想像する。

アーケードの向こうに大きな鳥居が見えている。
迷うことなく真清田神社に到着した。

早速、本殿にお参りし、ご朱印を頂き、境内の散策となった。

尚、頂いた由緒書きには、真清田神社の創建は神武天皇の時代、我が国の開拓と同じ時期であると伝えられる、また、木曽川の水田地帯として栄え、清く澄んだ水による水田からこの名前が付けられたと云われる、と書かれている。

本殿にお参りし、ご朱印を頂き、境内の散策となった。

広い神社の境内に斜めに木の棒が打ち込まれている最中であった。
聞いて見ると馬が掛ける柵を造っているところとのことである。
10月15日に行われる「駒牽(こまひき)神事」のためのものだそうである。
この神事は翌年4月に斎行される桃花祭の役馬を定める為のもので、神事の日には神社正面の本町アーケードを牽き立てた後、境内に設けた柵内を走り、馬の良否選別をするものだそうである。
もう数日で馬が太鼓や掛け声に合わせて境内を疾走する光景を見ることができるとのことであった。

一之宮にお参りを済ませて駅へと戻る。
さっきの観光案内所へ行って、七夕のことを聞いてみよう。
答は簡単であった。
「そのまま残してあるみたいですね…。次のイベント、初詣かな?その時に入れ替えるんです」
何とも分かり易い回答であったが、尾張の人って放っておいても平気なんだ、と思ったりもした。

案内所にゆるキャラらしきマスコットが置いてあった。
「コレ何と云う名前?」
と聞いて見た。
「いちみんです」
お腹に「138」と書かれている。
「138って?」
「一宮を数字で書いて、138(いち・み・や)です」
と説明頂き、さらにゆるキャラ絵葉書も貰った。
ラッキーであった。

更に聞いて見る。
「一之宮って、もう一つあるんですか?」
「ありますよ。大神(おおみわ)神社です。行き方は・・・・です」
とこれも丁寧に教えて頂いた。

教えられたからには行って見ないといけない。
少々疲れた足を引きずり、名鉄尾西線沿いに歩き始めたのであった。

30分は歩いたであろうか?
大神神社を発見、お参りしてご朱印をお願いした。
社務所には神官の服装をした人が数人いる。
「いやぁ、今日は書けないんです。預けてくれたら後日送りますけど…」
と云われたが、朱印帳を預けてしまうと、この後しばらくは活動停止になるので、丁寧にお礼を言って、神社を後にした。

尾張一宮まで戻るのは大変なので、近くの名鉄の駅を教えて頂いて、その駅まで歩いたのであった。
次の駅は尾張一宮、下車して再びJR東海道線にのって、今度は大垣に向かうことにした。

大垣までは、そう沢山の駅はない。
岐阜に停車、その先は一駅ぐらいを挟み直ぐに大垣に着いた。

大垣駅で下車した。
大垣には仕事で何度も来てるが、駅は初めてである。
大垣は水の都と云われる。
市の文化施設は「スイトピア」、水都から来ている。
もう止めたが駅前でコンビニを経営している会社仲間もいて、その家に泊めて貰ったこともある。

しかしながら観光は初めてである。
大垣と云えば石田三成が関ヶ原の前夜入った大垣城、先ずそこへ行ってみよう。

駅まえからの広い道を歩く。
直ぐ川に行き当たる。
趣のある橋である。

この橋を渡って川沿いに進む。
途中「水の都 たらい舟」の幟も懸っている。
幾つかの橋を過ぎ、辰之口橋の所から南下する。ここは辰之口門のあった所である。

左手に天守閣が見える所まで来た。
近づいてみる。
天守の前に大きな木が聳えている。
邪魔な木である。

天守の正面へ回って見る。
内部見学ができるようであるが、再建天守なのであまり興味はない。
場所だけを確認し、昔の姿を想像し、大垣城を後にしたのであった。

あとは、芭蕉の奥の細道の結びの地まで行って見よう。
その前に、大垣本陣を見てみよう。

駅前から来る道路を東へ渡って、本陣を探したが中々見つからない。
諦めかけた時に、やっと見つけた。
近年に模擬再建されたような近代的な本陣の建物である。
この前の道が旧の中仙道であろう。
これをまた駅前からの道路を渡って西へ進むことにする。

川沿いに行けばその場所へ出る筈である。
川は一本に集約されて行く。
住吉燈籠があった。
住吉神社もある。
その横に旧の町屋もある。

川を挟んだ反対側に「奥の細道むすびの地」があった。
芭蕉の像と芭蕉が泊まった谷木因(たにぼくいん)の像もある。

おノ駅の探訪旅もこれで終わりとしよう。

 

大垣駅までバスで戻り、米原行きの電車に乗ったのであった。

〔おノ駅 完〕