「う」の駅は大阪府にあり、大阪空港と京阪電車門真市駅間を繋ぐ「大阪モノレール」の「宇野辺駅」である。

大阪モノレールは大阪中央環状線と云う幹線道路の上を走っている路線である。
1990年に千里中央と南茨木間が先ず開業され、この駅はその当時は「茨木駅」と云う名称であった。
しかし、この駅の北側向こうにJR東海道線の「茨木駅」があり、同じ駅名なので乗換可能駅であると多くの人に誤解されたことから、大阪空港への延伸部が開通した1997年に「宇野辺駅」と改められた経緯がある。

余談であるが、駅の命名は難しいものである。
空港や新幹線の駅を通る路線は、全国の方が利用するので、ローカルな名前ではなくその都市の名前を付けたいのが人情だが、場合によっては先輩駅との間で乗換の利便性問題が起こる。
このような例は未だに何例も残っているが、問題が起こったら潔く名称変更したこの事業者の姿勢には拍手を贈りたいものである。

宇野辺駅で下車した。
この場所は、中央環状線と府道十三・高槻線が交差するところで交通の要衝である。
また府道と並行してJR東海道線も走っている。

宇野辺という地名の由来については、予め調べている。
その由来となったところには最後に行って見ることにする。

宇野辺駅の北側に行ってみる。
直ぐに大型ショッピングセンターIモールがある。
このIモールの屋上へ行けば付近が良く見えるかと考え上がってみた。
見たいのは線路向こう東側にある5年前に閉鎖されたサッポロビール工場の跡地である。

屋上から見ると建設工事が始まっているようである。
基礎工事は終わっていて、何本ものクレーンが入り、鉄材を設置している。
大きな建物が何棟も同時並行で進んでいる。
現場事務所にはえんじ色地に白い大きな「R」の文字が見える。
何だろうと思い、屋上を降りて線路を越え、建設現場のフェンスまで行ってみた。

なんと大学の建設現場となっていたのであった。
それも関西では良く知られているRMK大学である。

今度は中央環状線の陸橋を渡り道の向こう側へ行って見る。
神域がある。

春日神社という立派な神社である。
神社の横には大正川が流れている。
この川の向こうには大きな工場がある。
国内最大手のTY製罐の茨木工場である。
神社から先はマンションや住宅街になるので、もう一度宇野辺駅まで戻ることにした。

今度は府道を南へ下ることにする。
この辺りが宇野辺と云う住所地である。
右側にYN工業所というこれも大きな工場がある。
プラスチックの射出成型の我が国の草分けの会社である。

左手にはNSというソフトクリームのコーンで良く知られた会社の本社がある。

更に南へ下る。
パーラーや車のディーラーの店が並ぶ。
このまま歩けばJRの千里丘駅に行けるが、それでは面白くない。
道を換えて、JR線路の東側を歩いてみることにする。

線路を潜って広い道に出た。
交差点名は「丑寅1丁目」、変わった名前である。
丑寅とは北東の方向を指す。
恐らく大阪の中心、この場合は大坂城から見ての方向で地名が付けられたものであろうか?

この辺りは物流の倉庫が並ぶ所である。
中央環状線はもとより、名神高速道、中国高速道、近畿自動車道の吹田ICに近いところである。

更に南下する。
右手に合併した製薬会社DNPST製薬の大きな工場がある。
この工場の横から「蔵垣内」と云う住所地に入り、路地を歩いてい行く。

「井於(いお)神社」を見つけた。
平安時代にずっと北の宇野辺に創建された神社である。
当時は「いのへの」神社と云われていて、それが訛って「うのべ」となったと云われている。

この神社は素戔嗚尊(すさのおのみこと)を主祭神といている。
何故素戔嗚なのか?

ご朱印を頂いた神官から面白い話を聞いた。
「織田信長が攻め込んで来た時、信長は素戔嗚を信仰していたので、それを祀る神社は焼かれないとの伝えから、当神社でも祀ったのです」
とのことであった。
そう云えば織田家も素戔嗚神社も木瓜紋(もっこうもん)である。

関西の神社に素戔嗚命を祀る神社が多い理由が分かった気になった宇野辺の探訪を終了し、近くの千里丘駅に向かったのであった。
〔うノ駅 完〕