「立売堀」とは大阪市西区にある街である。
地名は難読、その由来と面白いものを尋ねることにして街歩きをしてみた。

立売堀という場所は大阪市営地下鉄の阿波座駅の南側にある。
街の中央を「なにわ筋」、そしてちょっと西に「新なにわ筋」という大きな道路が南北に通っている。
その間に「あみだ池筋」も通っている。
南の端は、以前厚生年金会館ホールと云われ馴染みのあった現在のオリックス劇場の手前までである。
東西は四ツ橋筋から、ずっと西の木津川べりまでと、南北には狭く、東西には広い街である。

立売堀は大阪城から見ると南西部にある。
そして立売堀の西を流れる木津川は、大阪湾に繋がっている。
そのため、戦国時代や江戸時代には海運には重要な場所であった。
当時の有名な武将たちが、陣屋屋敷・蔵屋敷を構えていた。
仙台伊達藩、鹿児島薩摩藩、場所は外れるが土佐藩などである。

も一つ立売堀は、近代には、ある商売人の出世物語の小説舞台にもなっている。
花登筺(はなとこばこ)作の「どてらい男(やつ)」である。
小説はテレビドラマ、映画、舞台、漫画にもなったので、ご存じの方もおいでと思う。

このぐらいを予備知識にして、さっそく探索を開始してみよう。

阿波座の駅を地上に上がって、地上の阿波座の交差点を眺めてみる。
大きな交差点である。
交差点の上も高速道路がとぐろを巻いていて、立体都市のようである。
電気機材の大手の商社、IB電機の前を通って本町方向(東方向)に行って見る。
ビルの中に作られた西区スポーツセンターの横を南へと入る。

このビルの横の入口には大阪市立明治小学校分校の表示がある。
珍しいと思って見ていると、この前の公園には薩摩堀公園という表示がある。
公園を探索してみると、薩摩堀川の跡との石柱があった。
なるほど、薩摩藩の屋敷か蔵屋敷があったところであり、このあたり阿波座駅の周りは堀であったようである。

あみだ池筋を超えて東に行くと、明治小学校の本校もあった。
明治とは珍しい名前である。
明治時代早期に出来た小学校が母体のようである。
調べてみると全国各地にこの名の明治小学校があるらしい。
それぞれ明治初期の創立だと思われる。
ここの小学校も昭和の中ごろ、付近の明治・廣教・靱(うつぼ)の3校が合併して、今は一校になっているとのことである。

小学校の西の路地に出て、南へ行くことにする。
大きなビルがある。
ビル名は「YZ2」。
なるほど、ここか…。
ドラマの「どてらい男」はこのYZ社の創業期をモデルにしたものである。
創業者の名前を少し変えて、ドラマの主人公は山下猛造、通称モウやんである。
俳役は当時は歌手として有名だった御三家、西郷輝彦がつとめていた。

故郷の福井から出て来た主人公山下猛造が、立売堀の機械工具問屋に丁稚奉公に入って、主人や番頭からいじめられながらも、先輩に鍛えられ、浪速のあきんどとして成長しする。
そして戦争の時代を経て、戦後には自分の店を持つという物語である。

ビルYZ3もすぐに見つかった。
ビル1は何処にあるのか?と探した。
ちょっとだけ東に入ったところで見つかった。
何か神妙な空気が漂っているような一角であった。

現在のYZ社のビジネスは、産業用の機械やシステム、それに住宅用の設備や家電機器の仕入販売などである。年商4000億円近くにもなっている。
夏には扇風機、冬には暖房機などで、よくそのブランドを見かけたりする。

そのYZ本社の向かいには、大阪府警の機動警ら隊の基地もあった。
その南隣に何やら見慣れないものがありそうである。
「サムハラ神社」という大きな看板が見えている。

カタカナの神社? 何だろうと行って見た。
行って見て分かったが、サムハラとは不思議の四文字で、無傷無病、延命長寿の神として、身を守ってくれる御利益があるそうである。
本当は漢字風の四文字であり、それは神字だそうである。
ご参考に写真を載せるので、ご覧いただきたい。

このサムハラ神社の通りに、事故にあって怪我を免れた御利益の事例が数枚、掲示されている。
その中の一つに、少し古いが女優、浜木綿子さんのお礼文があった。
それによると、
『当時の梅田コマスタジアムで公演中、舞台のせり穴に落ち込み、奈落に墜落したが、サムハラ様のお守りを身体に付けていたため、次の場面で使用する舞台道具の長椅子の真上に落ちて、何一つ怪我せずに済んだ。
これもサムハラ様のお蔭と感謝している』
このようであった。

他にも、総理大臣の宇野宗佑さんやら社長さんやらのお礼文もあった。

また古くは、戦国の加藤清正公が秀吉の時代の朝鮮の役の時、サムハラを武器の刃に彫りつけて信じていたために万死に一生を得たという謂れもある。

お参りして社務所を訪れた。
神職が2名も居られた。
いつ何時でも祈祷してくれる態勢であると云う。
ご朱印を頂いて、神社を後にした。

更に南へ行って見よう。
すぐに南の街、新町に到着、域外へ出てしまった。
ここから東へ街の境界線を歩いて見よう。
程なくオリックス劇場の裏側に出た。
玄関に回り込んでみると、玄関が新しくなっている。

立売堀の東の境界、四ツ橋筋まで出て、それを北に歩く。
暫く行くと左手に、立売堀川跡の石柱があった。

そろそろ立売堀の由来を考えてみよう。

大坂の陣の時、仙台の伊達氏がこのあたりに陣地を構えていたと云われる。
陣であるから周りに堀を巡らしていた。
戦争も終り、堀の跡を広げ川としたことから、そのころは伊達堀(だてぼり)と呼ばれていた。
その後、「伊達掘」という漢字だけが残り、それをそのまま庶民は直接「だて」を「いたち」、堀を「いたちぼり」と読むようになったといわれる。
さらにその後、この辺りで港から荷揚げされた材木の立売りが許可されたので、「立売」という漢字を当て嵌め、「立売堀」と正式になった。
しかし読みはそのままの「いたちぼり」が残ったと云われる。

2転3転する、なにやらややこしい話であるが、本当とも洒落ともつかない話ではある。
大阪らしい、ローカル色豊かな話である。

京都市内にも御所の周囲に「中立売」とかの通り名・地名があるが、これはそのまま「なかだちうり」と読む。

立売堀はやはり、機械や工具の販売会社が多い。
店先を覗きながら、立売堀(いたちぼり)をほぼ一周したのであった。

ついでではあったが、立売堀のど真ん中にある旧知の会社を訪問して、お茶を頂いて探索を終了した。

〔完〕