大阪府の東北部は旧の国名河内の北半分であり、今でも北河内と云われる。
正確に云うと、生駒連山の北半分と淀川に囲まれた地域である。

その北河内は酒処であり、生駒山麓の交野市には地元では有名な2つの酒蔵がある。
その1つが今回の「利休梅」のD酒造である。

利休梅と聞いて、あの千利休の流れを汲む酒かと思い飛びついたが、どうもそうでは無いようである。
「利休梅」という酒名は植物の名前から付けたらしい。

調べてみると、利休梅は明治時代に中国から渡ってきた春から初夏にかけて白い小さな花を付ける低木であり、落葉樹だそうである。
庭木としてよく植えられているということで、よく見かける。

その花はどちらかと云うと茶人好みで、茶花には良く使われている。
その茶人好みというところから、茶聖千利休の名前を付けた由来であろう。

このD酒造の先代の蔵元が酒蔵の庭に咲いている利休梅を見て、閃きで名前を付けたそうである。
このD酒造、江戸時代の創業であるが、この名前は比較的新しい酒名である。

利休梅純米吟醸生酒を手に入れて飲んで見た。
このような生酒はスッキリと飲めるのが常である。
しかし、味は期待とは違った。
米で作ったワインか?、と錯覚するような洋風の味がした。

それは少しは頷ける。
この酒蔵は米国の輸入業者との結びつきを大切にし、輸出に精力的に取り組んでいるとのこと。
またイギリス人の杜氏もいる(いた?)と云う。
そういう意味で、日本酒の国際化にも意欲的に取り組んでいる酒蔵であろうと思われるからである。

このD酒造の酒蔵のある交野と云うところは「交野が原」と呼ばれ、皇室の遊猟地で桜の名所であった。
桜は現在も名所である、念のため…。

また交野には皇后直属の米の耕作地もあり、かつてから良質の米が作られていた。

その米と生駒山のミネラルたっぷりの伏流水を使って、良質の酒造りが営まれていたのは頷ける話である。

またこの交野市には、後2~3日で迎える七夕伝説がある所である。

星田妙見宮は、北辰(北極星)、北斗七星信仰の神社である。
ご神体は弘法大師の時代に天から降ってきた星の巨岩が祀られている。

機物神社、云わずと知れた織姫の神社である。
この機物神社はもともと渡来人の秦氏を祀ったものではないかと云われている。

戦国時代、織田信長はこの機物神社に思い入れがあり、神境を定めたり、神職16人の席次争いの調停をし、籤を指示したと云われる。
その後も、この慣例に従い、宮座の席順、神主の人選は神前でくじを引いて決めていると云われる。
信長以来の伝統が生きているのである。

また、明智光秀が武運長久を祈って銀を寄進したり、豊臣秀吉が米を寄進したとも云われている。

織田信長や光秀、秀吉、それに合わせて利休梅の千利休。
七夕以外に、戦国時代をも偲ばせる神社でもある。

交野の市内を流れる川は天の川と云う。
これも謂れのある磐船神社から流れてくる。

川の中流の平地部は天野が原、枚方市に属するが川の下流の丘陵地は名前は星ヶ丘と云う。

また川の上流にある森林遊園地は星の森、そして星のブランコ、星で彩られたところである。

来る7月7日には七夕祭りが機物神社で開催され、多くの人出で賑やかになる。
付近の道路も大変な混雑ぶりとなる。

浴衣姿の子供さん方は七夕の短冊に願いを込めて…。
そして楽しみは参道に並ぶ屋台出店に…。

一方大人は、交野の酒、利休梅で一杯と云うことになるのであろうか…?
もうすぐである。
楽しみなことである…。

〔りノ酒 完〕