「に」の酒はメジャーブランド、西宮の日本盛である。
大手であるので、飲み手の趣向に合わせるべく、多くの種類を用意している。

また日本盛は化粧品事業もしていて、米ぬか美人はよく知られているところと思われる。

日本盛の銘柄の中から、純米吟醸酒「惣花」を選んで飲んでみた。
少し甘口で飲み感はまずまず、非の付けどころが無い。

聞くところによると、「惣花」は、明治32年に皇室御用酒となり、昭和34年には今上陛下のご成婚の祝い酒として用いられた皇室ご用達の酒だそうである。

「惣花」の由来は、「千客万来の福招き、商売繁盛」だそうで、さすが西宮、えべっさんの福笹のデザインがなされている。

メーカーの説明によると、「惣花」は幻の酒と言われ、それほど多くは造られていないそうである。
特別な惣花酵母を使用し、3段仕込みの製法で作られているそうである。

この機会に日本酒のシェアを見てたいと思う。
2008年のデーターから見ると次のようになっている。

1位 白鶴 (神戸市)9.4%
2位 月桂冠(京都市)8.2%
3位 松竹梅(京都市)6.9%
4位 大関 (西宮市)5.8%
5位 日本盛(西宮市)4.3%

6位以下は3%台で、世界鷹G(さいたま市) オエノンG(東京都)、黄桜(京都市)、菊正宗(神戸市)、白雪(伊丹市)となっている。

このように見てみると、灘・西宮と京都伏見の酒蔵が上位を占めている。
それは酒造業を大量生産事業にまで育てていった、各社の努力のたまものであろうと思われる。

酒の歴史は、前章の春鹿のところで少し触れたように、室町、戦国の時代までは寺院が僧坊酒を一手に製造していた。
その独占許さじと、戦国の覇者、信長や秀吉が寺の破壊とともにそれを取り上げ、町民が生産できるようにしたことが大きな進展を招いたのであった。

そして京の都や摂津辺りには多くの酒蔵が出来たという。
酒蔵は都合300もあったと云われる。
京や摂津の酒が大量需要の江戸に運ばれ、「下り酒」と云われた。
勿論大変に美味く、評価は高かったそうである。

これに対して、東の酒は下らない酒と云われ、一段低く見られていた。
余談ではあるが、つまらないものを「下らない」というのは、ここから来ているそうである。

その後、近世になって、酒の生産は、摂津の国、伊丹や池田に移った。
「白雪」「剣菱」や「呉春」という銘柄である。

その後は、伊丹から西宮、灘に酒造蔵がたくさんでき、今でも酒と云えば、西宮の宮水ベースの灘の生一本と云われることが多い。

しかし、京の伏見も健在であるし、全国各地で美味しい米と水があるところでは、酒は造られていて、呑む人の好みで、どれが美味しいかを決めて、たしなんでいる時代となっている。

別途、酒の味のランキングがあるが、個人の主観評価なので、掲載は割愛させていただく。

焼酎も含めて、日本各地には、立派な銘酒があり、呑み助にはたまらない時代となったのである。
また、ビールや発泡酒、それにワインやウイスキー・・。酒には事欠かない時代となったのである。

日本盛も含まれる、灘の生一本の歴史を探ってみる。

江戸の末期の頃に、今の神戸市、摂津の国灘郷に、山邑太左衛門(やまむらたざえもん)という酒元の主人がいた。

当時、六甲山の南側の地域に、酒蔵が数多くできて来ていた。
伊丹や池田に対して優位性が保てるからである。
その優位性とは、六甲山から流れ出す綺麗でミネラルを含んだ水の利便、江戸への海運の便、酒米の産地に近い等である。

灘と西宮の両方の蔵で、酒造りに励んでいた山邑太左衛門は日々思っていた。

「味が違うよなァ…。 灘のは美味いけれども…、西宮のようなスッキリ感がない」
「そうだ…。 米を西宮のを使ってみよう」
と造ってみたが、灘のは西宮に追いつかない。
「コウジか、温度か、杜氏か?」
西宮の杜氏も呼んで、灘で造らせてみた。

「灘では灘の味しか出ないな…。やりたくないが、水も運ぶか? 無駄とは思うが…」

時はまだ江戸時代、水を運ぶのはおおごとである。
桶を大量に作り、人と荷車も手配して、大行列をしなければならない。
隣組の酒蔵からは、
「気でも狂ったか?」とバカにされたそうである。

それでも、探究心の旺盛な太左衛門、やってみないと気が済まない。
「バカと云われようが、チョンと云われようがやってみるぞ!!」
と蔵人に大号令を掛け、桶を作り西宮を何度もゾロゾロと往復した。

山田錦という米がある。
神戸の西、東播州一帯で獲れる酒造りに適した米である。
新米が出来るのを待って、満を持して西宮とそっくりに仕込んでみた。

新酒を口にして言った
「美味い、美味い 西宮と一緒のものができた。皆の者、味わってみい…」
順番に味わった。
拍手が起きた。

その日は太左衛門の酒蔵の蔵衆一同、皆で遅くまで酒盛したという。

太左衛門はこの水を、宮水と名付けた。
西宮の酒蔵の井戸から汲み上げた水と云うことである。

太左衛門は太っ腹である 近くの酒蔵にも話をした。
我も我もと、西宮から水を運んだ。
当時は、この水を酒蔵に売る商売も成り立ったということである。
六甲颪(ろっこうおろし、六甲山から吹き下ろす、冬の冷たい風)と相まって、灘の酒造りは、天下一品となった。

宮水は、六甲に端を発する夙川の伏流水、場所は甲子園球場の少し西の方、戎の一番福争いで有名な西宮神社の直ぐ南辺りが当時の採集地で、記念の場所として大切に守られている。
水質は六甲山の花崗岩の中を通り滲み出す伏流水に海水が微妙にブレンドされたようなものだそうである。

余談ではあるが、太左衛門の酒は当初、正宗と云った。
清酒(せいしゅ)から「せいしゅう」⇒「正」+「宗」⇒「正宗(まさむね)」、と名付けられたのである。

太左衛門は後の商標登録制度が出来た時に、正宗の名で登録しようとしたが、正宗を称していた酒蔵が多くあって、却下され、止むを得ず「櫻正宗」にしたそうである。

桜の下で皆で飲む酒を酌み交わす風景が浮かんだのか、杯に浮かぶ花びらを思ったのか、それは分からない。

宮水の酒は一世を風靡した。
今でも日本の代表的酒蔵として全国的に知れ渡っている。

その後も日本酒は、精米技術や仕込み技術を切磋琢磨して、また全国の米、水を生かして、ご当地銘酒が数多く出来てきた。

ビールやハイボール、焼酎との激しい戦いもまだまだ続くのである。

〔にの酒 完〕

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です