今回は、大阪市の北西部で大阪の中心から見ると、淀川を越えた向こうにある西淀川区の街角ウオッチングである。
古代、大坂湾が北の宝塚や東の生駒山の手前まで広がっていて、この西淀川の辺りは海の中に点在する島であった。
その名残は、この辺りには多い「○○島」という地名である。

西淀川の中心、JRの御幣島で下車し、千舟・御幣島を訪ねて見ることにする。
御幣島駅の地上は、国道2号線と淀川通りが交差する「歌島橋」と云う名の大交差点である。 車に乗られる方はこの名の方が馴染みが深いと思われる。

まず北に道沿いに加島方面に行って見る。
暫く行くと左手に御幣島公園がある。
小さな公園であるが、この公園の真ん中に「住吉神社址」と云う大きな石碑が建っている。
古代、この西淀川は多くの島であったので、海の神、住吉さんと関係が深い。

住吉さんと云えば神功皇后が関係する。
かつて幣帛島(へいはくじま)と呼ばれた島があった。
神功皇后が朝鮮半島からの帰り、ここに神社を建立し、御幣を調整して国の安泰を祈ったとのことから、以来、御幣島(みてじま)と呼ばれるようになったと云われる。

この西淀川には、他の地域にも住吉神社がある。
後程、訪ねてみることにする。

御幣島駅まで戻り、次は千舟と云う住所地のウオッチングである。
御幣島駅の東側の野里・姫島との境目から入ることにする。
そこまで行くと、道路に掛かっている橋の下は川ではなくて、ブルーに色付けされたコンクリートの道と木々に覆われた林が長く続いているのが見える。

何だろうと思いながら、そこまで降りてみた。
「大野川緑地道路」である。
北から南へ約3.8Kmある。
そして幅は広いところで47mある。

かつて川であったこの大野川は、淀川と神崎川との間にあり、西淀の工業地帯の中心部の川で、水運、灌漑、利水など、住民にはかけがえのないものであった。
しかし、地下水の組み上げによる地盤沈下、河川汚濁による悪臭発生などの理由で埋め立てが行われたものである。
埋め立てたまま放っておくのも勿体ないので、緑地散策道路、サイクリングロードとされて、区民の憩いの場、健康づくりの場して、現在に至っているのである。
この緑地には、高木1万本、低木12万本が植えられているという。

この緑地帯を南下することにする。
すぐに国道2号線の橋を潜る。
現在はこの橋、補修中であり、少々潜るのは不気味である。

右手に千舟一丁目が見える。
工場、パーラーなど、個人住宅はあまり見られない。
暫く行くと阪神電車と阪神高速神戸線のガードを潜り、西淀公園に到達する。
ここはもう地名は大和田である。

折角であるから、大和田の住吉神社を訪れてみる。
この神社の境内には、「判官の松」という石碑がある。
由来は平家物語によると、源氏の範頼、義経は平家を追ってこの地まで来たという。
折からの台風襲来に直面した一行はこの地に陣を張った。
そしてこの住吉さんに海上の安全祈願をし、一本の松を手植えしたと云われる。

そのことに因む判官の松であるが、残念ながら明治時代の雷火で被災し、その後に石碑が建てられていてそれとわかる。

この大和田住吉神社の東隣に、建築専門学校がある。
若き建築家・技士の養成校である。

ここからから西に行くと直ぐに神崎川の高い防潮堤に行き当たる。
神崎川には千船大橋と云う橋が架かっている。
この橋を渡れば、阪神電車の千船駅、佃島に至る。

橋を横目に見て、北へ歩く、大きな学校がある。
「好文学園女子高校」と云う名である。
ここは千舟3丁目である。
聞き慣れない学校だと思っていると、どこかに書いてあった。
元々は大阪福島にあった大阪商科女学校、その後の名は大阪福島女子高校、こうなると聞いたことがある名前である。

高校の前を通り千舟を歩く。
今頃はマンション街となっている。
元々は工場街だった気がするが、残念ながら廃業に追い込まれ、マンション用地として転用された結果であろう。

3丁目から北の2丁目へ近づくにつれ、高層マンションが更に多くなる。
そしてそれも新しい。
JR東西線御幣島駅が出来、この千舟や御幣島も、駅の空白区が解消された結果となって、急速に住宅街として発展している。

千舟という地名の由来は、万葉集の歌から命名されいる。
「浜清み 浦うるはしみ神代より
千舟の泊(は)つる大和田の浜」
である。
大和田とセットで千舟(ちぶね)が命名されているのである。

今度は神崎川を超えて、隣の佃島へ向かう。
ここには千船駅という駅がある。
しかし千舟と云う地名は神崎川の東である。
この佃島を無視してこのウオッチングを終わることは出来ない。
なぜかと云うと、かつてこの地にいた数十人が江戸に移動して、江戸の新地も故郷に因み佃島と名付けて住んだことにあるという、歴史的にも重い街であるからである。

江戸幕府を開府した徳川家康と関係があるということは分かっている。
探索して、佃島のルーツ、佃煮のルーツに辿りつけるかも知れない。

阪神電鉄千船駅は千舟から千船大橋を渡ってすぐのところにある。
駅の直ぐ北側は大きな病院である。T病院という。
南側はそんなに広くはない道路が通っていて商店街となっているが、結構古い店が多いような店構えである。

まず、その商店街を隈なく探してみた。
佃煮の店を求めてである。
和菓子の大きな店の本支店はあったが、佃煮の店は見つからない。
地元の人に聞いてみた。
「佃煮屋さんはありませんか?」
「知らんな…」
であった。
また後で聞いてみようと思い、まずは探索である。

まず島の北の先端まで行ってみよう…。
何かはあるだろう?
北へ進んだ。
地図も手がかりもない、目見当・適当である。
しかし歩いても、中々先端までは辿り着かない。

もうそろそろ着くかなと思っていた時、脇の通りの先に森らしきが見えた。
何だろうと思い行ってみた。神社である。

入口の鳥居の脇に「田蓑神社」の石柱、「住吉大明神」の灯篭もあった。
そういえばこの佃島は元々は、大坂の有名な住吉大社の領地であった。

まずは本殿へのお参りである。
お参りを済ませ拝殿の横から本殿を拝観した。
なんと朱塗りの社が4つもある。
一瞬何のことかわからなかったが、よく考えてみるとここは住吉神社である。
住吉3神に加えて、神功皇后を祀っているのは、しごく当たり前のことであると気づいた。

本殿の他に東照宮が目に付いた。
東照宮であるから、当然のことながら徳川家康を祀っている。
家康と佃島との関係だなと思いつつあたりを見てみると、
「佃漁民ゆかりの地」との石柱もあった。

それによると徳川家康と佃漁民との関係はこうである。

天正14年(本能寺の変の4年後)に徳川家康が摂津多田神社(清和源氏の神社)に参拝の折、神崎川に差し掛かった時、川が荒れていて途方に暮れていた。
それを見た佃の人々は船を出して、家康を無事向こう岸へ送り届けた。

それに恩義を感じた家康は佃の人々に漁業の特権を与えた。
さらに将軍家への献魚の役目も命じたのであった。

数年後に再び佃を訪れた家康は、佃の漁民33名と住吉神社宮司の弟を連れて江戸へ住まわせたと云う。
当初、住居が与えられたのは安藤対馬守、石川大隅守の邸内であったが、後の寛永年間に幕府より与えられた鉄砲洲の地に住むことになり、故郷の佃村に因み「佃島」と命名したのが江戸の佃の始まりであった。

そして、佃にあった住吉神社も江戸に勧請した。
神社は今も鎮座している。

余談であるが、江戸時代には佃島として独立して存在したが、現在は月島とくっ付いて大きな島になっている。
地下鉄駅も「月島駅」があるのみで、佃○丁目と云う住所でそれとわかる程度となっている。
佃の佃煮、月島のもんじゃ、それぞれ江戸・東京の名物になっている。

佃煮を最初に造ったのは。その移住した漁民であると云われている。
移住した漁民たちは、自らの漁で雑魚がたくさん獲れると、保存性の効く佃煮を造り、その後、大量に出来ると売り出すようになったと云われている。
もちろん幕府からの砂糖、醤油の援助もあったと思われる。

そして佃煮の保存性の高さと価格の安さから江戸庶民に普及した。
さらには参勤交代の武士が江戸の名物・土産物として各地に持ち帰り、全国に広まったとされている。

また明治10年の西南戦争の時には、軍用食として多量の佃煮製造が命じられ、さらにその後の日清戦争でも、戦地に沢山の佃煮が送られたという。
戦後、帰宅した兵士は戦場で食べた江戸前の佃煮が忘れられず、佃煮を求めた結果、一般家庭の食卓にも上るようになったと云われている。

ひょっとして、移住した漁民たちが大坂にいる時、既に佃煮を造っていた可能性もあると思い、今回その手がかりが見つかるか?と期待もあって探索してみた。

残念ながら、大阪の佃島でその根拠になるものを見つけることはできなかった。
やはり江戸に移ってから、佃煮ビジネスを始めたものであろうか…?

現田蓑神社(住吉神社)を後にして、佃島の先端を目指して北へと歩く。
そんなに大きな島とも思わないのに、なかなか終点とはならない。

大きなマンションが何棟かあった。周囲は駐車場である。
その駐車場の脇を入っていった。
4~5mの高さもあろうか?、護岸壁が円弧形になっていてそこが島の先端とわかる。
しかしながら折角来たのに、川が見えないのは残念である。

この先端付近に、向こう岸へ歩行で渡れる橋が無いかと期待もあったが、何もないのは、重ね重ねも残念であった。
もと来た道を戻るしかなかったのである。

この佃島、その広さに少々手を焼いたのであった。

この西淀川区のウオッチング、最後に江戸佃島のルーツと家康との関わりに思いを馳せることができたのは収穫であった。

〔完〕

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