京都の嵯峨野から清滝へ向かう清滝街道の山間に愛宕(おたぎ)念仏寺、化野(あだしの)念仏寺がある。
いずれも念仏寺の名前が付いているが、元から何の関係もない2つの寺である。

奥から行くと、清滝へ越えるトンネルの手前が愛宕念仏寺、手間の小倉山の山裾にあるのが、化野念仏寺である。

これらの念仏寺は大きく変化を遂げた寺である。
というより、近代になって今のように整備されたことは、余りよく知られていない。
よく京都を舞台にしたミステリーには使われたりするので、かなり過去からこのようであったかと思われるのではあるが…。

愛宕念仏寺は近代になって、伽藍共々引っ越した寺院である。
元々は奈良時代に、山城国愛宕郡愛宕郷に建てられていた寺であった。
現在の場所で言うと、東山区の清水寺と鴨川との間ぐらい、六波羅蜜寺の辺りで、愛宕寺(おたぎでら)と云った。

平安時代には鴨川の洪水で流失したり、兵火で焼失したりして、荒廃していたが、10世紀末に、叡山の僧、伝燈大法師千観内供が再興した。
千観内供は生涯念仏を唱えたため、念仏上人とも呼ばれた。
寺の名も愛宕念仏寺と云われるようになった。
七堂伽藍を有する天台宗の大寺院となったのであった。

その後も戦火、火災で荒廃すること、幾度かであった。

近世大正の時代になって現在の地、愛宕山の麓に、大移築されたが、その後もパッとしなかった。

戦後の時代になって再興を願う天台宗本総本山の比叡山は、仏像彫刻家に新しい住職を委嘱したと云う。
住職の名は西村氏、今から57年前のことである。

この西村住職、寺院再興のために新しいイベントを始めた。
それは参拝する人たちに羅漢を彫刻してもらい、寺の境内を埋め尽くすと云う大作戦であった。
「昭和の羅漢彫り」と云う彫刻教室を開いたりして、力を入れた。

当初は五百羅漢の目標であったが、順調に進み過ぎて現在は千二百体の羅漢になったと云うことである。

この千二百羅漢、境内にところ狭しと整列している。
自分に似た顔、親兄弟に似た顔、知り合いに似た顔、探してみては如何だろうか?

もう一つの念仏寺は、あだしの念仏寺。
正式名称は、華西山 東漸院 念仏寺である。

あだし野は東山の鳥辺野、洛北外の蓮台野と並んで、葬送の場所であった。
人間はかなさを詠う時には「あだし野の露…」とよく使われる。

このあだし野念仏寺の起こりは、平安時代に弘法大師が、この付近にあった庶民の野ざらしの遺骸を埋葬したことに始まるという。
その時の寺の名称は五智如来寺と云い、大覚寺の系統だった。
弘法大師は千体の石仏を付近からを集めたと云う。

時は経過して、鎌倉時代。
浄土宗の開祖、法然上人が、この寺を念仏道場としたことから、念仏寺と云うようになり、その名が今も使われてる。

寺は興隆・荒廃、波があるもので、この寺もそうであった。
江戸時代に本堂などが再建された。

現在は8000体の石仏が所狭しと並んでいる。
これは明治時代中期に、あだしの付近に散乱・埋没していた無縁仏を、地元の人たちが供養のために集め、釈迦の説法を聞く形に並べたものである。
賽の河原に模しているので「西院の河原」と名づけられた。

念仏寺の現在の特徴がようやく出来上がったのであった。

このあだし野念仏寺、浄土宗の念仏道場であるということから、玄関口に、教訓めいたものが掲げられている。
役には立つと思われるので紹介したい・

Ⅰ  「俗世間 つもりちがい十ヶ条」

一、高いつもりで 低いのは 教養
二、低いつもりで 高いのが 気位
三、深いつもりで 浅いのは 知識
四、浅いつもりで 深いのが 欲
五、厚いつもりで 薄いのは 人情
六、薄いつもりで 厚いのが 面の皮
七、強いつもりで 弱いのは 根性
八、弱いつもりで 強いのが 我
九、多いつもりで 少いのは 分別
十、少いつもりで 多いのが 無駄

~念仏寺掲示物より転載~

もう一つある。

Ⅱ  「豆腐」
信仰は お豆腐のようになることです

豆腐は 煮られてもよし
焼かれてもよし あげられてもよし
生で冷奴で ご飯の菜によし
湯豆腐で一杯 酒のさかなによし

柔くて 老人の 病人の お気に入り
子供や 若い者からも 好かれる
男によし 女によし
貧乏人によし 金持ちによし
平民的であって 気品もあり
上流へも好かれる

行儀よく切って 吸物となり
精進料理によし
握りつぶして味噌汁の身となり
家庭料理に向く

四時 春夏秋冬 いつでも使われ
安価であって ご馳走の一つに数えられ
山間に都会に ・・・・ ドコでも歓迎せられる
貴顕や 外来の招宴にも 迎えられ
簡単なる学生の自炊生活にも 喜ばれる

女は特に 豆腐のようでなければいかぬ
徹した人は 豆腐の如く柔くて しかも形を崩さぬ
味がないようで 味があり
平凡に見えて 非凡    (原文のまま)

~あだしの念仏寺掲示物より転載、段落は筆者~

まさしく、お坊さんの説教である。
人間の在り方について、豆腐に例えて話している。
最後の「女は…」の下りは、男女問わず共通かと思う。

最後、3ツ目、


わらわれて わらわれて えらくなるのだよ
しかられて しかられて かしこくなるのだよ
たたかれて たたかれて つよくなるのだよ
小供しかるな来た道だ
年寄り笑うな行く道だ
~あだしの念仏寺掲示物より転載~

たまには、このような話は、自らの方向修正について有益かと思われる。

ダブル念仏寺、やがてやって来る紅葉シーズン、嵐山・嵯峨野の諸寺とも合わせて、賑わうものと思われる。

「もみじ葉の 下におわする  羅漢仏
灯りともせよ  人の無常に」

〔ねノ段 完〕