「さわらびの道」とは、京都府南部宇治市にある観光遊歩道である。
今から15年ほど前に、この道の目玉となる源氏物語ミュージアムが建設され、この道も整備された。
場所は、宇治川に架かる宇治橋の東の袂から、右岸の 上流にかけての部分である。
さわらびとは源氏物語宇治十帖の「早蕨」に因んだものである。

前後して、このさわらびの道の対岸に「あじろぎの道」というもう一つの観光道路も整備された。
それは10円玉のデザインでおなじみの平等院の周辺を散策するための遊歩道である。
あじろぎの文字は「網代木」と書き、川で漁を捕える網代を止める柱のことを云う。

宇治川の右岸は源氏物語、左岸は平等院鳳凰堂と平安絵巻に浸ることが容易にできるのは嬉しいことである。

今回はさわらびの道の探歩をして見よう。
さわらびの道は、宇治川に沿って少し遡り、宇治神社、宇治上神社を巡って、源氏ミュージアムの前を通り、宇治橋東詰に戻ってくる周回道路である。
歩くと30分もかからないで踏破できる道であるが、中身は盛り沢山な道である。
順番に辿って行くことにする。

出発点は宇治川に掛かる宇治橋の東詰、京町屋風の茶店やお菓子屋さんが並ぶ間の道である。
さすがに宇治茶の里である。
茶だんごと書いた看板がいくつか見られる。

暫く行くと左手に、橋寺放生院(ほうじょういん)という寺がある。
この寺は7世紀の初めに宇治橋が秦河勝によって架けられた時に、橋の守り寺てして創建された寺である。
この寺の境内に宇治橋建設の経緯を刻んだ「宇治橋断碑(だんひ)」と云う石碑が覆屋の中に大事に保存されている。
余談であるが、宇治橋は滋賀大津の瀬田の唐橋、大山崎町から淀川を跨いで架けられた山崎橋と共に、日本三古橋と云われている。
勿論、当時の技術であるから、大雨・洪水の度に流れたと云われている。

歩を進める。
左に分かれる道がある。
さわらびの道はこの道に取る。
直進する川沿いの道を辿ると、朱塗りの喜撰橋に至る。
これを渡り十三重の石塔がある塔の島、も一つ橋を渡ると平等院に至る。
また喜撰橋を渡らずにまっすぐ行くと、紅葉で有名な曹洞宗興聖寺に至る。

さわらびの道を辿ると、すぐに宇治神社の拝殿(桐原殿)の横に出る。
この宇治神社は、直ぐ東にある宇治上神社と合わせて、応神天皇の皇子、莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)の邸宅跡に創建されたと云われていて、皇子の亡くなった後にその霊を祀ったのが両神社の起こりとされている。

さわらびの道はここで左に折れるので、道なりに宇治上神社を目指す。
途中、両神社の中間あたりの右手に「早蕨之古蹟」という石碑がある。
宇治十帖の早蕨の巻を想定した舞台であるらしい。
源氏物語に出てくる大君、中君、浮舟の親で光源氏の異母弟・八宮(はちのみや)の住まいが、このあたりにあったという想定である。
先に述べた莵道稚郎子が八宮のモデルであると云われている。

源氏物語の宇治十帖は、この八宮の三人の娘、大君、中君、そして浮舟と、光源氏の子である薫、そして光源氏の孫の匂宮(におうのみや)が織り成す物語である。
薫は少し根暗の男、匂宮は軽薄な男として描かれている。

ちなみに薫の父光源氏のモデルは、嵯峨天皇の子、源融であると云われているが、小説では色んな人物像を合わせたような性格に描かれていて、単にモデルというだけに過ぎない。
小説から歴史考証をするのは大いに無理があると思われるが、藤原一族である紫式部が天皇家の係累をモデルにして、恋愛物語を書いていると云うことに、その藤原氏の権力の絶大さがうかがわれるとも云える。

さて、早蕨之古蹟である。
ここに立てられている説明版に、
『年改まり、宇治の山荘にも春が来た。今年も山の阿闍梨から、蕨や土筆などが贈られて来た。
中君は亡き父君や姉君を偲びつつ
この春はたれかに見せむ亡き人の
かたみにつめる峰の早蕨
と返歌なさった。』
と書かれている。

この後、中君は匂宮の二条院へ迎えられ、不安を感じつつも幸せな日々が続くのである。
宇治が忘れられない薫は大君の面影を追って、中君と二条院で懇ろに語るが、匂宮は二人の仲を疑い始めるのである。

源氏物語はこれくらいにして、世界遺産宇治上神社へお参りしよう。
宇治上神社は拝殿・本殿ともに国宝である。
現存している神社建築では最も古いとされている。
創建は源氏物語が成立した頃である。
その後、平等院ができてからは、下の宇治神社と合わせて、その鎮守社とされている。

境内は全く神さびている。
陽が当たって明るいのであるが、建屋だけは平安時代のような荘厳さがあった。

ご朱印を頂いて、さわらびの道に戻って進む。
神社を離れると、道端右に与謝野晶子が源氏物語宇治十帖に寄せた歌碑が立っている。
その奥に「総角(あげまき)之古蹟」の石碑もある。

その先の左手には、ガラス張りの源氏物語ミュージアムが木立の間に建っている。
ガラス張りであるので、来館者の様子が外から見える。
ミュージアムの前庭を歩いて裏手に出ると、そこには「コムラサキシキブ」という低木が植わっていて、ところどころに紫の小さな実をつけている。
実を眺めながら、その脇を抜けて、先ほどの宇治橋の東詰を目指す。
さわらびの道はこれでお開きとなる。

ついでであるので宇治橋を渡り、西詰へ行ってみる。
ここには「夢浮橋之古蹟」の石碑がある。
源氏の最終巻である。
紫式部の若かりし頃と思われる座像もある。

宇治十帖の最後は浮舟の物語である。
大君にそっくりな浮舟に思いを寄せる薫は、匂宮も浮舟に心を寄せているのを知り、京都にいた浮舟を宇治に戻してしまった。
諦めきれない匂宮は、その浮舟の居所を見つけ、薫に成りすまし思いを遂げてしまう。
匂宮と気づいた浮舟は、二人から愛されることに深く悩んで、宇治川に身を投げてしまうのであった。

浮舟は宇治川の縁で倒れているところを横川僧都の一行に救われ、小野で看病されたが、その後僧都を頼って出家してしまったのであった。

浮舟が生きていることを知った薫は、中君の弟、小君に手紙を託し、浮舟への熱い思いを伝えようとするが、浮舟は弟に会おうともせず、手紙に返事も書かなかったのである。
薫の思いをきっぱりと断ち切り、浮舟は平穏に生きることを選ぶのであった。

このように源氏物語は閉じられている。
男どもの勝手な思いの中で、振り回される生き方にノーと云った浮舟。
紫式部の男たちへの大いなる主張であったのかも知れない。

何やら暗い探歩になってしまった。

気を取り直して、この先の鳳凰堂でも見てこよう。

〔完〕