大阪と京都の境、天王山の麓、山崎に離宮八幡宮が鎮座する。
離宮八幡宮、聞き慣れない名前である。

離宮とは、この地は嵯峨天皇の離宮であったこと、八幡宮は宇佐八幡宮から分祀したこと、元は石清水八幡宮と云っていたが、対岸に新たに石清水八幡宮を新造したので、離宮八幡宮と呼ばれるようになった。

元々境内は広かった。
天王山山裾から、淀川べりにあった相応寺までいれると、山崎の街を横断する形であった。

当時の山崎、大坂からの行き帰りの淀川水路から、京都方面の陸路への荷物の集散ターミナル、大きな港町が出来上がっていた。
「山崎の津」と呼ばれた。

京都や近江、越前や美濃の産物を関西から中国・四国へ、また逆に西の産物を京や東へ、物資豊富な市であった。

専門的に商品を扱い利ザヤを稼ぐ問屋も勃興してきたころである。
中でも灯油や竹材は、この地の特産で利も大きかった。

その山崎の街、今朝から特段の賑わいを見せていた。
それは年一回の八幡宮の例祭の日、老若男女、動きが軽かった。

生家の生活苦により寺奉公に出され、その寺も経営難、リストラで出され生家に戻って来た二十歳そこそこの若者、その名を法蓮坊と云った。

これは山崎の北隣、今で云う長岡京市生まれの法蓮坊(峰丸)、後の斎藤道三のちょっとした物語である。

峰丸は寺院での厳しい修行で世間知らずになっている。
「町では賑やかだと云うし、世の中どうなってんだ?」
「俺は、食い扶持も無くなって、今日明日をどう生きるかが、問題なのに…」

峰丸は八幡宮にやって来た。
多くの人出である。

「おお~い、峰丸じゃないか? ここで何をしておる?里帰りで、祭り見物か? お寺はどうじゃ?」
幼馴染の善丸の声、今は八幡宮の神官である。

「お寺は、お払い箱だ…。今は浪々の身だ…」
「することは、何もないのか?」
「何もない」
「丁度、良かった。 この人出だ。こっちは人出不足。手伝ってくれんかのう? 神官の格好をして、祝詞をあげる真似をしてくれれば助かる」

「お経ならな…。 祝詞は無理だよ」
「お経も祝詞も同じだ。得意の所をやってくれればいい。手当ははずむぞ…」

元々美男子の上に、清楚な装いの法蓮坊、ひときわ目立つ神官ぶりであった
一日目は忙しく終わった。
そのまま神社に泊り、善丸と呑みながら話に花が咲いた。

「峰丸よ、これから、どうするんだ?」
「あてはない。 ここを見てると、綺麗に着飾った女子もちらほら…。羽振りがよさそうだ」
「それはな、油や竹問屋、大店の女子たちだ。結構儲けている。神社への寄進もシッカリで、助かってる。 他にも荷さばきや金貸しもそれなりに…。しばらくここに居ろよ!」

話は、まだまだ続くが…、
ここで、少し説明、

離宮八幡宮は、灯油の専売権を朝廷から与えられていた。
この時代、明かりは荏胡麻油(えごま油)でとっていた。
油の製法をここの神官が発明したので、そうなっていたのである。
油問屋は神社から免許をもらい、各国に売り歩いた。
東は美濃、西は讃岐までに及んだ。
セールスマンのことを「神人(じにん)」と呼んだ。

この峰丸・法蓮坊に気を留めた女子がいた。
門前の油問屋、奈良屋の娘である。
しおらしく、店の繁盛とわが身の幸せをお祈りに来ていた。
乳母と番頭と連れだって来ていた。

初めて見るカッコ良い神官がいた。
番頭に、
「あれは、何と申すものじゃ、尋ねてまいれ!」

「ここの大神主が申すには、仏僧あがりの神官とのことでございます。近在の武士の何とか申す者の子息だそうで…」
「名は?」
「そこまでは…。すんまへん」

数日して峰丸に、婿入り話が持ち上がった。
油問屋へのである。

峰丸は、考えた。
「これからは、金の世の中になるなァ。ここらで金儲けに方向転換するのもよかろう…」

峰丸は無事、婿入りを果たし、大店の若旦那となった。
しかし、じっとしているのが嫌いな性分、自らも油売りに出かけることにした。
「神人」法蓮坊の誕生である。

僧・神官であり、大店若主人、それに口もたつ、腕もたつ、それに、帝の免許も持っている。
天下無敵、怖いもの無しになった。

何処へ行っても、油は高い値で売れた。
今までの店の儲けに、加えて、法蓮坊の分が大きくプラスとなった。
店は、義父とシッカリした我が女房が仕切ってるから、安泰である。

「支店を出すことにするか」
そう思って、諸国の情報を集めた。
あちこち、行ったりした。

美濃の土岐氏の一族、土岐頼芸の側室に深芳野という美人がいる。
土岐家に行く毎、深芳野は手代を手なずけていたのか、都度、油の吟味と云っては、相手してくれた。

もちろん、法蓮坊も好きな女のためには、上から下まで金はばらまいてある。
しばしの逢瀬も楽しめるようにはなっていた。

経済基盤も美濃は申し分ない。
農業も豊かで、産物も多い。
海が無いから、人もおとなしい

土岐家の家来の長井なにがしというものの屋敷の一部を借りて、出先とすることにした。
しばらくは販路拡大に取り組んだ。

儲かって、しようがない。
長井には禄以上もの賃料を惜しげも無く支払った。

もちろん美濃や尾張をいつも歩いている。
情報は凄い量が集まった。

そのような話を長井や時には土岐に流れるようにサービスした。

美濃守護をめぐって、土岐家の兄頼政と弟頼芸がいつも争っている。
「これに上手く、かんでいけば、美濃の守護位にはなれるかも知れん」
そう思うようになった。

あるとき、頼芸から呼ばれた。
峰丸はすでに西村利政と名乗っている。
もちろん長井の推挙である。

「お主は情報通らしいのう? ここだけの話じゃが…」
と、頼政謀殺のことを相談された。

「それは…、時期を待たれた方が…」

数日して頼芸からまた呼び出しを受けた。
「そろそろどうじゃ?頼政のこと…」
「お屋形様も気がお短いと見えなさる」

「その前に長井のこと、なにやかやワシに反対する。守護代がそれでは皆の者に示しがつかん。 そこで相談じゃが…」
「皆まで申されるな…、その代わりと言っては…、深芳野殿をいただけまいか?」
「何?」
としばらく詰まったが、
「必ずな…」
と頼芸は答えたのであった。

西村法蓮坊はしばらくして、長井利政と名乗るようになった。
もちろん長井屋敷の主人となり、深芳野も、ここへ…。
長井の知行地と、それに守護代という役職もそっくり頂きである。
もちろん稲葉山城も…。

その後のことは、各位には、良く御存じのことと思われる。

頼芸の願いを入れて頼政を追い出して、頼芸を名実ともに美濃の守護にした。
しかし程無くして、頼芸も追い出してしまい、峰丸改め長井利政は美濃の国主の座に就いたのである。
斎藤道三の誕生である。

更に正室として、明智一族、明智光秀の叔母、小見の方を迎え、信長と長い契りを結ぶべく、愛娘、濃姫を信長の正室へと…。
押しも押されもされぬ、美濃の国主となったのである。

戦国と言われる一時代の始まりである。

「えごま油を かつぎ津々浦 旅に出る
刀に変えて 何をか求む」
注)この話、道三親子2代に渡った話と言う説もある
2代でも、1代でも内容は変わらないので、今まで通りの1代で表現した。

〔りノ段 完〕