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「JRおおさか東線」の新大阪と放出(はなてん)を結ぶ部分が開通した。
これで、新大阪と関西本線の久宝寺駅が線路で繋がったことになる。
このJRの新線は、さらに新大阪から梅田まで延伸する計画であるともされている。
グリーンの久宝寺行きの車両に乗り、始発の新大阪駅を出発した。
電車は、東淀川駅を通過し、吹田市へと向かう。
東海道本線と並走し、分岐したかと思うと、直ぐに「南吹田駅」に到着する。
途中下車の始まりである。
改札を出ると、駅前広場があるが、目ぼしいものは見られない。
駅の案内図を見てみる。
神崎川である。
他に見るべきものが無いので、川の土手に登ってみた。
左手に鉄橋が見える。
おおさか東線の新鉄橋である。
この鉄橋を渡ったところで吹田の貨物駅から来る城東貨物船と合流し、ここからは貨物線からの改良線路を電車は走ることになる。
堤防の下には川面に沿った遊歩道がある。
「水鳥の道」と命名されている道である。
尚、神崎川は、この上流の摂津市で淀川から分流され、茨木市内から流れて来る安威川と合流し、下流において大阪府と兵庫県の府県境を形成する川である。
南吹田は今までは鉄道が通っているだけで、駅は無かった。
この駅ができたことにより、今後は様変わりしていくところであろうと思われる。
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南吹田駅からおおさか東線に乗って、次の途中下車は「JR淡路駅」である。
淡路駅と云えば、阪急京都線の淡路が良く知られている。
この新駅と阪急駅は300m程度の距離なので、乗り換えも可能である。
阪急駅の手前には東淡路のアーケード商店街がある。
その入り口にうどん・そばの店「KW」があったので、昼食とすることにした。
店内はカウンター席10席程度である。
先ずは券売機でメニューを選ぶシステムである。
初めての店なので、出汁の味とかは全くの不明であるので、このような場合は肉うどんかそばを選ぶようにしている。
今回もそのようにして、カウンターで料理待ちとなったのであった。
5分ぐらい待って目的の肉そばが出てきた。
そのせいなのかは分からないが、牛肉の味が少しは濃い感じがする。
両社のバランスが取れている味である。
最後まで美味しく頂いて、店を後にしたのであった。
淡路で向かうのは、菅原地区である。
とは言ってもJR淡路駅から南へ向かう線路の北側は全て菅原地区である。
小学校も菅原小学校と云う。
小学校を過ぎてしばらく行くと、菅原天満宮に到着する。
菅原地区は江戸時代寛永年間に開墾されたところで、淡路に因んで天満宮を勧請したものとされている。
石段を昇り、鳥居を潜ると境内である。
境内には、拝殿、そしてその背後に本殿が祀られている。
どの神社を訪れてもこの幟が建てられているのは見事な連携である。
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JR淡路駅に戻り、次は「城北公園通駅」での途中下車である。
この駅は計画当時は「都島駅」であったそうである。
しかし、大阪メトロの都島駅とはかなり離れているため、乗り換え可能駅と誤解を受けるため、現在名としたそうである。
しかし城北公園も結構遠い。バスで3~4駅の距離である。
ここの地域名は「赤川」である。
今渡ってきた鉄橋も「赤川鉄橋」として、貨物線と歩行者用の二本立てで良く知られている名物鉄橋である。
「赤川駅」とすれば良かったのにと思う次第である。
城北公園へ行ってみた。
公園の真ん中に高架道路が通っている。
城北筋・菅原城北大橋という。
早速、菖蒲園へ行ってみた。
時期的に早かったせいか一部の花が咲いているのみであった。
その中で、見応えの花もある。
先ずは、品種名「紫の上」である。
そして「桃霞」である。
いずれも気品を感じる花である。
城北公園通駅からおおさか東線に乗って、次の駅「JR野江駅」で途中下車する。
そして大阪メトロの「野江内代(うちんだい)駅」とは300m程度の距離である。
どちらも乗り換え可能圏である。
付近の探索であるが、JR野江駅と大阪メトロ駅との間に見るべきものがある。
中世の城跡「榎並城跡」である。
戦国時代に細川晴元側に属した三好長政が築いた城である。
現在は、小学校の用地になっていて、城の遺構は何も見られないのは残念であるが…。
野江水(のえすい)神社と云う。
その水害から城を護るために「水波女大神(みずはのめのおおかみ)」を祭神とした神社である。
4駅の周辺の探索はこれで終了である。
探してみると何かはあるものであるということに意を強くして、今後も探索を続ける積りである。