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近鉄奈良線の終点奈良駅を下車して地上に上がると、そこは東向(ひがしむき)商店街というアーケード街の入り口である。
通りの両側は食事処やら老舗の菓子屋やら奈良漬の老舗やら多くの商店が立ち並び、観光客も一段と多いところである。
その中を人を掻き分けるように南へ進むと少し広い交差する通りに出る。
この通りは三条通りと云う。
通りの両側は食事処やら老舗の菓子屋やら奈良漬の老舗やら多くの商店が立ち並び、観光客も一段と多いところである。
その中を人を掻き分けるように南へ進むと少し広い交差する通りに出る。
この通りは三条通りと云う。
通りを西へと行けばJRの奈良駅へ行くことができる。
反対に東へ行けば、左手に興福寺、右手に猿沢の池を見ながら、春日大社の一ノ鳥居へと行くことができる。
反対に東へ行けば、左手に興福寺、右手に猿沢の池を見ながら、春日大社の一ノ鳥居へと行くことができる。
その三条通りへと突き当たった左手に「NT堂」というよもぎ餅を主体に製造販売する店がある。
餅つきは高速餅つきと云われ、2人のつき手が交互に高速で杵を振り下ろし、その後、杵と合いの手で更なる高速で餅を仕上げる工程を眺めることができる。
餅がつき上がると、直ちによもぎ餅として作り上げ、即販売となる。
一つ買い求めて食べてみた。
一つ買い求めて食べてみた。
とにかく柔らかい。
餡子は粒餡であるが、これも柔らかくほんのりと甘い。
「これは美味いわ」とお土産にと、1パックを買い求めたのであった。
餡子は粒餡であるが、これも柔らかくほんのりと甘い。
「これは美味いわ」とお土産にと、1パックを買い求めたのであった。
お土産を片手に、さて、周りの見物である。
今回は近場の猿沢の池の辺りを眺めてみよう。
今回は近場の猿沢の池の辺りを眺めてみよう。
2
猿沢の池の南側は興福寺の五重塔を眺めるベストポイントとして知られ、一時は奈良観光の象徴的存在であった。
今もそうであろうが、塔の周りの木が結構大きく成長していので、塔は上半分位しか見ることができない。
今もそうであろうが、塔の周りの木が結構大きく成長していので、塔は上半分位しか見ることができない。
この五重塔は奈良時代に藤原不比等(ふひと)の娘である光明皇后の発願で創建されたものであるが、現存の塔は室町時代の再建で、高さは50.1mで国宝である。
この手の塔としては、京都の東寺の五重塔に次いで日本で2番目の高さである。
もし、この南にあった元興寺の塔が江戸末期に焼失していなければ、1位が元興寺で、こちらは3番目となる。
目を左に移すと南円堂が見える。
池からは確認できないが、五重塔と南円堂の間にある中金堂が解体され、再建中である。
6年前に着工され、今から2年後の落慶を目指しているとのことである。
6年前に着工され、今から2年後の落慶を目指しているとのことである。
猿沢の池のすぐ南には「率川(いさかわ)」が流れている。
率川は飛火野から流れ出ていて別名菩提川とも云われる。
街中を流れ佐保川に流れ込む川であるが、現在はこの猿沢の池の部分を除いて暗渠と化している。
率川は飛火野から流れ出ていて別名菩提川とも云われる。
街中を流れ佐保川に流れ込む川であるが、現在はこの猿沢の池の部分を除いて暗渠と化している。
その率川の川中に舟型の台座に沢山の石仏が乗せられた舟地蔵が祀られている。
正式名称は率川地蔵尊であろうか?
赤いよだれかけをした地蔵達がギッシリと並べられ、群れを成している。
江戸末期、率川の河川工事をした際に、埋もれていた石仏が40体程見つかり、このように祀られたとのことで、珍しい風景である。
江戸末期、率川の河川工事をした際に、埋もれていた石仏が40体程見つかり、このように祀られたとのことで、珍しい風景である。
尚、猿沢の池は興福寺の放生会(ほうじょうえ)の放生池として造られた人工池である。
放生会とは、万物の生命を慈しみ、捕らえられた生き物を野に放つ儀式のことである。
放生会とは、万物の生命を慈しみ、捕らえられた生き物を野に放つ儀式のことである。
この猿沢の池には七不思議というのがある。
『澄まず、濁らず、出ず、入らず、蛙はわかず、藻は生えず、魚が七分に水三分』
である。
『澄まず、濁らず、出ず、入らず、蛙はわかず、藻は生えず、魚が七分に水三分』
である。