1
平安京の羅城門の跡を訪ねて、近鉄京都線の東寺駅で下車した。
この駅の南側の東西の通りは九条通りである。
駅からこの道を西へ辿れば、かつての朱雀大路であった現在の千本通りと交差する辺りに羅城門跡がある筈である。
この駅の南側の東西の通りは九条通りである。
駅からこの道を西へ辿れば、かつての朱雀大路であった現在の千本通りと交差する辺りに羅城門跡がある筈である。
西へ進むと右手に大寺院の東寺がある。
寺の東南隅に五重塔が聳えているのが良く見えるが、東寺へは後ほど訪問することにして、西へと急ぐ。
寺の東南隅に五重塔が聳えているのが良く見えるが、東寺へは後ほど訪問することにして、西へと急ぐ。
東時の門前を過ぎ、暫らく行くと「九条旧千本」の信号機が見えて来る。
この交差点は千本通りが筋違いになっているため、広い交差点となっている。
交差点の歩道脇に「羅城門跡」の小さな案内標柱が立っているので、そこを北へと入る。
入ると児童公園であるが、滑り台の前に「羅城門遺址」と云う背の高い石柱が立てられ、低いフェンスで保護されている。
羅城門は、かつての平安京の朱雀大路の南端に建てられていた都への入口大門である。
この羅城門は9間5戸の重層門だったと云われている。
そしてこの門の東西には門を守護するための東寺と西寺が置かれた。
この羅城門は9間5戸の重層門だったと云われている。
そしてこの門の東西には門を守護するための東寺と西寺が置かれた。
しかし羅城門は、平安時代の初期に台風により倒壊した。
一度は再建されたが、今度は平安中期の台風で再び倒壊し、以後は再建されなかったと云われる。羅城門には「兜跋毘沙門天像」が祀られていたが現在は東寺に、そして「三彩鬼瓦」は遺物として博物館に保管されている。
また羅城門は、芥川龍之介の「羅生門」と云う小説で良く知られているところでもある。羅城門遺址の裏道を西へ進むと、新千本通りと交差する。
その交差点の角に餃子の店があった。
店の名は「M・G」と云う。
一度は再建されたが、今度は平安中期の台風で再び倒壊し、以後は再建されなかったと云われる。羅城門には「兜跋毘沙門天像」が祀られていたが現在は東寺に、そして「三彩鬼瓦」は遺物として博物館に保管されている。
また羅城門は、芥川龍之介の「羅生門」と云う小説で良く知られているところでもある。羅城門遺址の裏道を西へ進むと、新千本通りと交差する。
その交差点の角に餃子の店があった。
店の名は「M・G」と云う。
店はカウンターとテーブルで20席ぐらいで、うまい具合にカウンター1席だけ空いていたので、腰を下ろしたのであった。
メニューを見ると、餃子だけではない。
各種のラーメンもラインナップされている。
メニューを見ると、餃子だけではない。
各種のラーメンもラインナップされている。
ラーメンと餃子を頼もうかと思ったが、ここは餃子専門店である。
ブレてはいけないので、餃子2人前とライスで行くことにした。
ブレてはいけないので、餃子2人前とライスで行くことにした。
2
しばらく待った。
先ずはスープが出てきた。
頼んでもいないのに、と思ったが、これはサービスであろう。
そしてライス、最後に餃子が出てきた。
先ずはスープが出てきた。
頼んでもいないのに、と思ったが、これはサービスであろう。
そしてライス、最後に餃子が出てきた。
餃子のタレは2種類用意されている。
お決まりの酢醤油とそして味噌ダレである。
お決まりの酢醤油とそして味噌ダレである。
先ずは酢醤油にラー油を溶かせたものを作り、さあ頂いてみよう。
最初にスープ。
結構濃い味である。
中華系のスープは時々頂くが、それよりもコクがある。
初めての味わいである。
次に餃子、焼き目は濃くパリパリである。
しかし中の具は、生焼けに近いシットリである。
そして具は細かく粉砕されているのも見事である。
結構手間暇かけたと思われる作品である。
京都一の餃子と云われる由縁であろう。
餃子が3分の2ほど無くなった頃、味噌ダレの存在に気が付いた。
早速、試してみると、スッキリした爽やかな味で、これも満足であった。
新しい発見である。
満腹になったところで、やり過ごしてきた東寺である。
九条通りを東へ向かう。
東寺の南大門が見えてきた。
東寺の南大門が見えてきた。
正面に国宝の金堂がある。
その後ろは重要文化財の講堂である。
更に奥へ行くと弘法大師が住坊とした国宝の御影堂がある。
北門から退出すると、右手には塔頭の観智院が、左手には私学の洛南中高校がある東寺である。