1
 JR山陽本線の沿線に所用があったついでに倉敷駅で途中下車した。
 倉敷は良くご存じのように蔵の街、水路の街、そして大原美術館などの文化の街でもある。
この山陽本線の沿線では、有名な観光の街でもある。
この倉敷の観光施設が集まっている場所は美観地区と名付けられていて、駅から10分程度でその入り口まで行くことができる便利なところである。倉敷駅は2階が駅コンコースになっていて、フロアー続きで駅前広場に出るが、その広場は南口も北口も2階のままで見通しは良い。

 丁度昼時であった。
街側の南口に出て駅前全体を眺めると、食べ物屋の大看板がいくつか目に付く。
その中でも動画を取り入れた「ぶっかけうどんの」大型ビジョンが良く目立つ。
「FI」の店名も良くわかる。倉敷のぶっかけうどんはかつて聞いたことがある。
地元では良く知られた家庭料理であるが、うどんと云えば昨今は香川が全国的に有名になったので、倉敷のうどんはなりを潜めている感がある。
しかし、こちらでの話によると倉敷は江戸時代からの伝統のうどんであると云っている。
天領倉敷の代官が食し、名付けたものであると云われている。

 早速そのぶっかけうどんに行って見よう。
大型ビジョンの下あたりにありそうである。
 百貨店の2階に設けられた歩道を歩いてビジョンの下まで来た。
地上に降りると、道に案内看板が出ている。
その矢印通りに店に行って見た。
 店は菓子屋とうどん屋を兼ねている。
そういえばこの店は元々は饅頭屋であったと云われている。
 案内された席に座って「温たまぶっかけうどん」を注文して、暫く待った。
イメージ 1
 うどん鉢に、温たま、葱、天かす、キザミ海苔、おろし生姜が所せましとトッピングされたうどんが出された。
ぶっかけ出汁は、土台のうどんと同じ高さまで注がれている。
 普通ぶっかけと云えば生醤油ぶっかけを想像するが、出汁を味わって見ると甘辛い。
ざるそばのつゆに甘味を加えたような濃い味である。
 しかし、卵を解いて他のトッピングと混ぜたりすると丁度良い味になった。
そういう食べ方をするものであろう…。
美味しくいただき、満足して店を後にしたのだった。
                 2
 商店街を歩く、えびす通り商店街というアーケードである。
特段に倉敷らしい店はないが、歩くにしたがって、観光を意識した店が出てくるようになった。
商家風の旧町屋の建物も目立つようになる。
アーケードを抜け出したところに、阿智神社の鳥居と参道階段があるがこれを横目に見て、本通り書店街へと入る。
 暫く行くと、右手に中国銀行の古い石造りのような建物があり、その反対側はトンネルである。
トンネルの山は鶴形山という。
このトンネルの横に観龍寺という寺への参道階段がある。
このお寺に行って見よう。
観龍寺は古くから倉敷の中心的な寺院である。
平安時代の創建で、真言宗御室派の別格本山、京都の仁和寺の系統である。
 江戸時代には妙見宮別当ともなっていたが、明治の神仏分離により妙見宮は分離され、この上にある阿智神社となった。
幕末には、天領であった倉敷に、長州藩の立石孫一郎率いる一隊が攻め入り、現在の倉敷アイビースクエアにあった倉敷代官所を襲撃したあと、この寺に立て籠ったと云う。
その時の証として、鴨居門には槍の傷跡が残っている。
 寺でご朱印を頂き、階段を降り真っ直ぐに水路方向に向かう。
水路手前が、大原美術館の倉敷紡績のオーナー大原家の家で、今は重要文化財となっている大邸宅である。
その前の今橋を渡ると、大原美術館の玄関である。
イメージ 2
 ここまで来たら、美術館の中を見てみようと、少しお高い入場料を払って入ってみた。
中には、ルノアールの女性の絵やモネの睡蓮、ゴーギャンやピカソなどの有名画家の絵画が沢山並べられていて、凄いものであった。
しかし、保存性のためであろう場内が暗くて、絵が見にくいのは少しの難点であろう。
 絵画とは別に、陶器や東洋の収集物も展示されている。
中国の紀元前の殷や戦国の銅鉄器が展示されていたのは少なからず驚いた。
どのようにして集めたのだろうか? 聞いて見たい気がする。
                 3
 美術館を出て水路の両側を探索する。
観光舟も出ている。
イメージ 3
 観光地らしく綺麗に着飾っている様子がありありと…。
しかし、あまり興味は涌かない。
 休憩所を見つけて、缶コーヒーを飲んだり、たばこを吸ったり…。
この休憩所、過去を物語るような木造の有形文化財である。
観光舟のチケット売り場ともなっている。
 そろそろ駅に戻る時刻である。
帰りに重要文化財である大橋家住宅に行って見た。
門構えは長屋門風で、片側でレストランを営業している。
中ほどの狭い入口から中を覗いてみた。ここから先は有料とのことである。
聞いて見ると、入場料ウン百円。
さっと見るだけなのに、それでは高い。
止めて早々に駅に戻ったのであった。