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 姫路駅からローカル線に乗って本竜野駅で下車した。
 竜野と言えば、駅は少々ややこしい。
山陽本線の姫路の西に竜野駅があるが、ここは竜野の南外れ…。
下車しても竜野の町まではかなり遠い。
そして、竜野は現在ひらがなで「たつの市」と書く。
 竜野には有名なものが3つある。
一つは、播州そうめん「揖保の糸」。
二つ目は、淡口(うすくち)醤油の発祥の地。大手メーカーもある。
三つ目は、童謡「赤とんぼ」の三木露風の産まれたところ…。
 竜野に来たからには、この三つを楽しんでみよう…。
 まずバスに乗って、本場のにゅうめんを食べに行くことにした。
駅前に停まっているバスの所に行った。
丁度、その運転手らしき制服姿がバスの横でタバコを吸っている。
こちらもタバコに火をつけて近づいた。
「運転手さんですか?」
「そうだけど…」
「にゅうめん食べたいんだけど…。どこで降りれば良い?」
「公園入口に2軒あるよ…。そこならあると思うけど…」
「じゃあそこでお願いします」
 運転手さんがバスに戻るに合わせて、そのバスに乗せて貰った。
 市内循環バスであった。
あっちこち回りながら、なかなか市街地から離れない。
しかも、電光掲示の料金はいつも100円。
 公園入口に着いた。
恐る恐る「料金いくら?」と聞いた。
「100円」の答え。
「安い…」料金箱に入れて下車した。
今はやりのコミュニティーバスであった。
 目的の停留所の前の観光ショップ・食堂は休み。
どうしようか?と思っていたら、看板を眺めていた人が、
「この上のお店は開いてますよ。音楽が流れていたから…」
と教えてくれた。
 バス停の横に、三木露風の「赤とんぼの歌曲碑」があった。
『夕焼小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か
…             』
しばらくの間眺め、その食事処へ向かった。
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少し高級そうな店、しかしここしかない。
顔を覗かせて
「にゅうめんありますか?」
と聞いた。
「ありますよ」
の答えに店内へ…。
 客は誰もいない。
案内されたテーブルに座り、にゅうめんを注文。
出てくるまでの時間、メニューを見たり、観光案内パンフを見たりした。
 にゅうめんとは素麺をうどんや蕎麦の様に、掛け出汁で食べさせるものである。
 来た来た…。
温かい出汁にそうめんが浮かび、その上にちらし寿司風に、錦糸玉子やらカラフルな具が並んでいる。
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 一口、出汁を味わってみた。
美味い。
関西風の淡口醤油に昆布、魚の味が効いた出汁である。
麺は、細くてコシがある。
うどんやそばとは違って上品な感じのする味わいであった。
 たちまち完食。店員さんに訊いて見た。
「美味しかったです。出汁はどんなものが入ってるの?」
「店の大将が秘密にして作ってるから、わかりません」
と言われれば、それ以上聞けない。
 ちなみにこの食事処の名は「すくね茶屋」、
相撲の祖とされる野見宿禰(のみのすくね)に因んだものである。
宿禰は都から出雲へ帰る途中にこの地に立ち寄り、病没したと云われている。
この近くにはお祀りした野見宿禰神社もある。
 にゅうめんの美味かったと言う記憶だけ残して、次の所へ行こう…。
店を後にした。
街外れのその場所から、駅を目指して歩いて観光することにした。
 城が見える。少し歩いて城に到着した。
隅櫓が堂々としている。
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 播州龍野城跡、元々は秀吉が築城したものであった。
江戸時代になって京極氏の居城になったが、京極氏が丸亀に移封された後、信州飯田から脇坂安政が改修・居城としたものである。
石垣、隅櫓、門などが残っている。
 城を後に、かつての城下町に入って行った。
面影を残している屋敷もあれば、虫籠窓がある商家の佇まいもある。
それと淡口醤油の街らしく、醤油蔵も見られる。
 三木露風の筆塚と歌碑のある如来寺、淡口龍野醤油資料館(本日休館)、そして醤油饅頭の清風本店をめぐり、醤油饅頭をお土産に買って、揖保川の河畔まで戻って来た。
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 このあたりの揖保川の両岸は川の水かさが増した時に、各家庭から畳を持ち出し
堤防の上に嵌めることができる柱を立てている。竜野の「畳堤」と云われる。
堤防だけに頼ることなく、住民の防災意識を高めるのには効果的だそうである。
 揖保川の向こう岸には醤油会社HM社の大きな工場がある。
淡口醤油を生産して全国に販売している会社である。
 この会社を横眼に見ながら歩いて、程無く本竜野駅に到着したミニ旅であった。
 にゅうめん・そうめんの歴史を探って見る。
 そうめんは日本国内では奈良の桜井市が発祥の地とされている。
奈良時代に唐から伝来した唐菓子の一つ、索餅に由来するとする説が有力である。
その原形はもち米と小麦粉を細長く練り2本を索状によりあわせて油で揚げたものあった。
 その他にも素麺の伝来は、うどんやそばと同じ様に中国から帰国した禅僧によってもたらされたという説もある。
 奈良の桜井市は今も素麺の産地である。
三輪山、大神神社(おおみわじんじゃ)の麓で、「三輪そうめん」である。
全国に分布する素麺産地の源流は殆どが三輪からと云われていて、かつては素麺の相場は三輪で決められていたと云われている。
 素麺は室町時代には現在の形になったとされ、「素麺」の名が定着したと云われている。
しかし室町時代の食べ方は、温かくして食べるにゅうめんが主流だったらしい。
 そうめん原料には小麦、水(軟水)、食塩(海水塩)、そして手延べするための胡麻油が必要となる。
 軟水や塩となれば関西である。
 日本の三大素麺は、桜井市の「三輪そうめん」、小豆島の「島の光」「瀬戸の風」、
竜野の「揖保の糸」と云われている。
その他関西地域では、徳島の半田そうめん、淡路の淡路そうめんなどが知られている。
 ここ播州の素麺は、元々は神戸の灘で生産が盛んであったものであるが、灘の衰退により小麦も水も塩(赤穂塩)も良質な播州にその技術が伝えられ、現在の姿になった。
 国内の素麺の生産高1位はここ播州素麺となっている。