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 近鉄電車の阿部野橋から橿原神宮・吉野へ向かう線区に南大阪線と云うのがある。
 かつての官製鉄道の名残で、レール幅はJR在来線と同じ狭軌である。
 この南大阪線の大阪から奈良へ入って暫く行ったところに「尺土駅」があり、この駅から御所(ごせ)線が出ている。
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 終点の御所は市街地であるが、南下するバスに乗り、暫く行くと葛城川に沿って走り、宮戸橋で下車した。

      (上図の左手が南方向)
 バス停は国道309号線との交差点にあり、交差点名は「室」と云う。
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 西を見ると、右に葛城山、左に金剛山が綺麗に見えるところである。

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 この交差点から手前方向の東へと向かい、暫くすると大型の前方後円墳が見えて来る。
 墳丘長238mの宮山古墳である。(写真の右手が前方部)
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 左手の後円部へと回り込んでみる。

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 桜が咲く池の土手から眺めたものである。

 後円部に近づき詳しく見てみる。
 
 後円部の頂点に、八幡神社が鎮座している。
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 境内には、孝安天皇の「室秋津島宮阯」と云う石碑も建てられている。

 古代には皇居であったとのことである。
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 神社があったからか、皇居があったからか、「宮」が古墳の名に付けられている。

 また、神社境内には古墳の後円部への登り口がある。
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 先ずは登ってみる。
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 頂上まで登ってみるとそこには墳墓があった。
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 そして石室が覗いている。

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 後円部から下山し、今度は南側の側面へと移動した。
 住宅街である。街中に桜池公園があり、桜が満開である。
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 そして前方部である。

 こちらも農地や農業倉庫があり、詳しく見ることができない。
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 古墳探訪は終了である。
 昼時を過ぎているが、昼食をと出発点の「室」交差点付近を探してみることにした。
 食堂らしきものが見つけられない。
 交差点の南側にたいやきの店があった。
 「日本一たい焼き」と看板が上がっている。
 これで良いかと思い、入店したのであった。
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 店の中にはイートインコーナーもある。

 餡の種類が沢山あったが、ここは抹茶餡を注文した。
 既に焼き温めていたものがあった。
 封筒に入れたたい焼きが直ぐに貰えたのであった。
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 さて頂いてみる。

 アツアツである。
 高温で保存されていたようである。
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 フーフーしながら完食となったのであった。

 ただ抹茶餡であるが、たいやきとは合わない気がした。
 やはり餡は小豆餡が良いのかなあ、と思った次第である。
 この会社の名前は、「㈱日本一たい焼き」と云う。
 福岡県福岡市の企業で、創業者がこのたい焼きを食べ、「このたい焼きの味は、日本一たい!」と云ったことから、社名が付けられたそうである。
 最後にたい焼の歴史について調べてみる。
 たい焼は、今川焼き(大判焼き)から派生したと云われている。
 明治時代に鯛を形どった。鋳物の型を使って作られたとされる。
 その発祥の店であるが、東京の麻布十番にある「浪花家」と云われる。
 それでは今川焼はどうか。
 江戸時代中期の安永年間、江戸市中の名主今川善右衛門が架橋した今川橋付近の店で、「今川焼き」として  宣伝・発売し評判となった。
 それが一般化して広まったという説、あるいは駿河国の戦国大名である今川氏の家紋から今川焼と称したという説などがある。
 この今川焼であるが、関西などでは回転焼きが一般的であるが、商品名として御座候(兵庫、大阪など)、ずぼら焼き(和歌山県海南市)などがある。