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 大阪上本町から三重県松阪市の伊勢中川へ向かう近鉄大阪線の奈良県内の駅に「大和高田駅」がある。
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この駅がある大和高田市は小さい街でありながら、3本の路線が通っているところである。

 北から、近鉄大阪線、JR和歌山線・桜井線、近鉄南大阪線である。
 この大和高田で途中下車した目的は、この付近にある幾つかの大型古墳を訪ねてみようという考えである。
 先ずは、腹ごしらえ。
駅の斜め前に「となりえ」というビル商店街ができたばかりである。
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何か食事処が…、と思って行ってみると、1階に海鮮をうたった店がある。
「匠海」という屋号である。

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早速入ってみる。

 調理場をカウンターで囲い、その周辺をテーブルが配置され、そして小上がり座敷が1列ある広い店である。
かなりな人数が入れるようである。
 カウンターに座り、さて注文である。
ランチメニューから「漁師丼定食」を選び、注文したのであった。
 待つこと5分ぐらいか、漁師丼定食が出てきた。
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丼は普通の特徴がありそうなものではないが、味噌汁椀が丼並みの大きさにはビックリさせられた。
そして蓋を開けると、具は大きな背骨のアラで、再びビックリである。

 肝心の丼の方であるが、海老やマグロ、イカなど、魚がしっかりと盛られている。
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7~8種類ぐらいはありそうである。
そしてなぜか温泉玉子が…。

 さあ、頂いてみよう。
 先ずは味噌汁、そして丼である。
味はとりたてて優れているというわけではないが、久しぶりの海鮮である。
美味しく頂いたのであった。
 腹ごしらえができたところで、古墳探訪に、さあ出発である。
 先ずは便利なところから…。
 電車の大阪向きの隣駅に「築山」という駅がある。
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大古墳「築山古墳」の最寄り駅である。

 この駅で下車し、住宅街の中を南へと向かう。
5分ぐらい歩くと築山児童公園に到着し、その正面に古墳の墳丘が横たわっているのが見える。
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 古墳に近づき、周濠の外堤を反時計回りに歩いてみる。
住宅が建てられ、外堤を行けないところもあるが、周濠は残されている。
この古墳、宮内庁により磐園陵墓参考地とされ、その被葬候補者は顕宗天皇とのことである。
 築山古墳の見学を終了し、もとの電車に乗って大和高田駅に戻ったのであった。
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 次はバスに乗って北方向へと向かう。
ターゲットは「新木山(にきやま)古墳」である。
1時間に1本しかない竹取公園東行きのバスに乗車、終点1つ手前の「新家」で下車し西へと向かうと、大きな池とその南に古墳の墳丘が見える。
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新木山古墳である。
この辺りは広陵町である。

 東向きの前方後円墳である。
東面している前方部から南、西の後円部へと回ってみる。
墳丘の周りは空き地や農園である。
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当初は全周に周濠を伴っていたようであるが、、今は北側に周濠を拡張(?)した大池を伴い、東、南、西の周濠は空き地や農園として利用されているのがよくわかる。

 西の後円部の外堤の先に石積みされ整備された古墳がある。
帆立貝式の三吉石塚古墳である。
古墳の頂上へ上ると、二上山や葛城山の遠景を眺めることができる。
 もとの古墳の北側へと回る。
周濠が見え始め、大きな池へと繋がって、一周は終了である。
 次に、竹取公園東のバス停まで歩き、その先にある「巣山古墳」の探訪である。
巣山古墳へは、まず到達するのは南へと向いた後円部である。
 丁度、後円部には工事の車両やら工事人が入っていた。
工事がなされていると近づき難いものである。
墳丘を遠目にしながら、前方部へと回りこんだのであった。
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 この巣山古墳の前方部付近は幅広い周濠を伴い、古墳らしい古墳である。
国の特別史跡とのことであるが、現在の修復工事が終了したら、全体的に見ごたえのあるものになるのでは、と思われる。
 この古墳の外堤の外側は馬見丘陵公園である。
時節柄、河津桜、緋寒桜が満開でとても見ごたえのあるものであった。
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 3つの古墳探訪を終了したが、丘陵公園の中にある古墳もついでに見て行こう。
 先ずは、ナガレ山古墳である。
この辺りは河合町である。
整備された古墳であるが、東半分には石積みがされ、西半分は草地である。
また石積みの周囲には、円筒埴輪、朝顔型埴輪が並べられていて見応えのあるものであった。
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そして北の方まで歩くと、そこには帆立貝式の乙女山古墳がある。

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立ち入ることができるので後円部の頂上まで登ってみた。

 そこには三等三角点があった。
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これで全てを終了とした。

 帰路は馬見丘陵公園の管理棟近くのバス停から近鉄五位堂駅(香芝市)へと向かったのであった。