1
仙台市青葉区にある東北大学の病院に用があり、昼前に仙台駅に到着した。
仙台には、何度も来ているが、流石に東北の中心地で、駅はいつも賑やかである。
病院にはバスで向かうが、バス停の場所が変わったようで、なかなか見つからない。
看板を何度も見直して、やっとのことでバス停まで到着した。
看板を何度も見直して、やっとのことでバス停まで到着した。
15分くらいで病院前に到着した。
この病院は明治の終盤に建てられた宮城県立病院がその前身で、創立当時の門が残されている。
煉瓦は塩焼き煉瓦というらしいが、創建当時のままだそうである。
煉瓦は塩焼き煉瓦というらしいが、創建当時のままだそうである。
用件は午後なので、腹ごしらえをする時間は十分ある。
先ずは、学内案内板を探し、その地図から学食を見つけ出し、向かったのであった。厚生会館で「星陵会館」と云う竣工してまだ1年も経たない新しい建物である。
先ずは、学内案内板を探し、その地図から学食を見つけ出し、向かったのであった。厚生会館で「星陵会館」と云う竣工してまだ1年も経たない新しい建物である。
システムが変わり種である。
普通の学食なら、トレイに料理を乗せて支払うが、そうではなく、先ずはレジに行き、そこで食券を購入するようなシステムである。
普通の学食なら、トレイに料理を乗せて支払うが、そうではなく、先ずはレジに行き、そこで食券を購入するようなシステムである。
食堂の入り口のメニューで「海老味噌ラーメン」と決めていたので、その食券を購入した。
そして麺類のカウンターへと並んだ。
そして麺類のカウンターへと並んだ。
カウンター内の作業を眺めながら、何番目かに目的のラーメンを受け取ったのであった。
そして空いているテーブルに腰を掛けた。
そして空いているテーブルに腰を掛けた。
麺は縮れ麺、サッポロ風である。
トッピングは、薄いチャーシュー、メンマ、ワカメ、それに白ネギである。
トッピングは、薄いチャーシュー、メンマ、ワカメ、それに白ネギである。
味はどうなのか?
学食なので、あまり期待していなかったが、海老出汁の効いた味噌味で、十分に通用する味である。
麺はスープが絡みつくと、バランスが丁度良い味となる太さである。
ただし、トッピングはそれなりで、学食レベルである。
このシリーズで、何度か学食を訪れているが、味はAランクに入ると思う次第であった。
2
まだ、少しの時間がある。
学内を散策してみよう。
学内を散策してみよう。
先ほどの正門からずっと西に木々の生い茂ったところがある。
その時は、紅葉の季節であった。
その時は、紅葉の季節であった。
黄色い楓、朱色の楓、そして真っ赤な楓が今は盛りと色づいている。
そして楓の木々の間に八つ手の花が咲いている。
ゆっくりと鑑賞を終え、目的の建物へと向かったのであった。
用を済まし、駅へ戻るバスに乗ったが、帰ってしまうのは勿体ない。
病院前から晩翠通りを通り、青葉通りを通って仙台駅に行くバスである。
病院前から晩翠通りを通り、青葉通りを通って仙台駅に行くバスである。
その経路の途中に「晩翠草堂前」と云うバス停がある。
晩翠通りと青葉通りの交差点の所である。
そこでバスを途中下車し、その晩翠草堂を見てみることにした。
晩翠通りと青葉通りの交差点の所である。
そこでバスを途中下車し、その晩翠草堂を見てみることにした。
晩翠とは土井晩翠(どいばんすい)のことで、草堂は晩年を過ごした建物で、仙台市の管理で保存、公開されているものである。
訪れると、門横で植え込みの手入れをしている人がいる。
管理人さんとのことで、「案内しましょう」と、手を止め、草堂の中へと案内してくれた。
管理人さんとのことで、「案内しましょう」と、手を止め、草堂の中へと案内してくれた。
草堂の中は庭に面した通しの廊下に沿って2つの部屋が並んでいる。
入り口に近い方が居室、奥が寝室である。
入り口に近い方が居室、奥が寝室である。
晩翠は詩人であり英文学者である。
現東北大学である旧制二高の教授として教鞭を執っていた先生である。
現東北大学である旧制二高の教授として教鞭を執っていた先生である。
そして、土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲の「荒城の月」はあまりにも有名である。
しかし、全国の学校の数百校の校歌を作詞したことはあまり知られていない。
また、姓も土井(つちい)から土井(どい)へと改姓したことも知られていなく、小生なんかは今でも「つちい晩翠」と呼んでいた。
これらの説明を管理人さんから伺い、お礼を言って、再びバスにて仙台駅へ向かったのであった。