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近鉄電車の上本町駅で下車した。
上本町駅の西に隣接する通りは上町筋という。
この通りを思いっきり北へと行けば、難波宮の西に沿い、大阪府庁と大阪城の間を抜け、最後は天満橋で土佐堀通りに突き当たる通りである。
この通りを思いっきり北へと行けば、難波宮の西に沿い、大阪府庁と大阪城の間を抜け、最後は天満橋で土佐堀通りに突き当たる通りである。
上本町から少し北へ行くと、そこには奈良天理を本拠とするラーメン屋のチェーン店「彩Kラーメン」があった。
大阪上六店と云う。
寒い折、この店でラーメンを食べてみようと入店したのであった。
カウンターとテーブルの店である。
7分位の込み具合であり、空いていたカウンターに案内され、サイカラーメンの小を注文したのであった。彩Kラーメンは奈良天理市で、今から約50年前に屋台で創業したラーメン店である。
「天理ラーメン」と呼ばれ、ラーメンに白菜を乗せるタイプの創始者でもある。天理にはもう一つ「天理〇〇ラーメン」と云うのもある。
どちらがどうなのかは、個人の好みによるもので、何とも言えない。
7分位の込み具合であり、空いていたカウンターに案内され、サイカラーメンの小を注文したのであった。彩Kラーメンは奈良天理市で、今から約50年前に屋台で創業したラーメン店である。
「天理ラーメン」と呼ばれ、ラーメンに白菜を乗せるタイプの創始者でもある。天理にはもう一つ「天理〇〇ラーメン」と云うのもある。
どちらがどうなのかは、個人の好みによるもので、何とも言えない。
そうこうしているうちに、ラーメンが出てきた。
麺は細麺であり、スープとよく絡むような感じである。
さあ頂いてみよう。
先ずはスープから…。
かなり辛い。覚悟して食べないといけない。
かなり辛い。覚悟して食べないといけない。
能書きによると、四川省より直輸入した味噌に唐辛子を刻んで入れる製法の辣醤(ラージャン)で辛みを付けたとのことである。
逆にスープが辛いので、麺や白菜は絶好の緩衝材となって、トータル的に美味しいラーメンとなっていると思われる。
食べ終わっても、2~3時間の間は、舌がピリピリと感じていたのであった。
かなり以前に、奈良市内でこのラーメンを食べたことがあったが、その時は辛いと云う印象はなかった。
辛さを強調した造りとしたのであろうか?
辛さを強調した造りとしたのであろうか?
2
さて近隣の探索である。
西方向へと向かう。
西方向へと向かう。
この辺りは、上町台地であるので西の方角へは下りとなる。
谷町筋を越えると比較的角度のある下りとなり、幾つかの寺院を過ぎた後、途中に高津宮の一ノ鳥居が右手(北側)に建っている。
鳥居を潜り、石畳の参道を北へと向かう。
石畳は結構長い。そして最後は昇り石段となり、境内へと到着する。
正面の拝殿前には一対の陶器造りの狛犬が祀られている。
そして拝殿が祀られている。
拝殿の壁には大相撲の懐かしい力士の手形が奉納されている。
昭和44年の大阪場所の時の手形だそうで、大鵬、柏戸の手形もある。
昭和44年の大阪場所の時の手形だそうで、大鵬、柏戸の手形もある。
拝殿の背後は本殿である。
本殿には、主祭神として仁徳天皇が祀られ、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇らも併せ祀られている。
本殿には、主祭神として仁徳天皇が祀られ、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇らも併せ祀られている。
本殿の左手には五代目桂文枝の碑が建てられている。
特に文枝は、この神社の境内にある参集殿「高津の富亭」にて最後まで落語を演じたとされている。
本殿の左には、この地の元々の神社であった「比売古曽神社」が祀られている。
そして本殿の後ろ側は「仁徳庭園」とされている。
また本殿右手には、高倉稲荷神社が祀られている。
境内を駆け足で一周し、参拝を済ませて西坂から退出し、当初の目的地へと向かったのであった。
尚、西坂の石段は、かつての坂の形状が三下り半になっていたので、「三下り半=離縁状」とのことから、縁切り坂と云われていたそうである。