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 奈良にはメジャーな観光地があり、最近は外国からの旅行者も多く訪れている。
今回は、近鉄電車の終点の近鉄奈良駅で下車し、そのメジャーな観光地を訪れてみた。
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 近鉄奈良駅から山焼きで知られる若草山(3つのピークが連なっていることから三笠山ともいう)の方向へ向かう通りを登大路という。
この大通りを東方向へ向かうと、一帯が奈良公園となるが、先ずは右手に藤原氏の氏寺であった興福寺が建っている。
 興福寺の境内は広いが、通り抜ける途中に国宝五重塔を間近に眺めることができる。
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この塔は、元々は奈良時代に藤原不比等の娘で、聖武天皇の妃の光明皇后が建立したものであったが、その後5回の焼失を経て、現在の塔は室町時代の建立と云われる。
この五重塔は、京都東寺の塔に次いで、我が国で2番目の高さである。

 興福寺の境内を通り抜けると、三条通りに出る。
三条通りは春日大社への参道でもある。
 これを東へ進むと、朱塗りの一ノ鳥居が建っている。
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 鳥居を潜り、多くの石灯篭が建つ参道を神社境内へと向かう。
灯篭の間から鹿が顔を出す風景も奈良ならではの風景であろう。
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この参道は1kmもあり、また行き来する参拝者も絶えない。

 やっとのことで、神社の社頭の二ノ鳥居へと到着である。
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 更に石灯篭に囲まれた参道を登って行くと左手に楼門様の南門が建っている。
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この門の先に本殿が祀られている。

 正面はこれも見事な中門である。
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この門が本殿拝所となっている。
この門の先に右手から、第一から第四までの四本殿が祀られているが、良くは見えない。

 お参りを済ませ、回廊を歩いてみると沢山の釣灯篭の風景に出会う。
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これも春日大社ならではの風景である。

 西側の門から回廊内を退出し、北へと向かう。
徳川時代に、綱吉将軍の母である桂昌院が寄進したと云われる桂昌殿が建っている。
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天下泰平之御祈祷を行った建物とのことである。

 そして、一言主神社、水谷神社の前を通り、境内から退出したのであった。
 次にそのまま北へと向かうと東大寺の境内へと入っていくが、西折れして、東大寺の正面へと向かうことにした。
 東大寺の正面は国宝の南大門である。
門の両袖には有名な国宝、金剛力士像が配置されている。
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この像の作者は、阿形像が運慶と快慶、吽形像が定覚および湛慶とされている。

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 南大門を潜ると、正面は中門の先に大仏が構えている。
今回は、中門越しに大仏殿のみを眺めたのであった。
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 大仏殿の裏側は講堂跡である。
その西側には、大仏池がある。
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 そしてその北側に、宝物庫である正倉院が建っている。
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 正倉院は、昭和戦後に建てられた近代的な宝庫も含めて多くの宝物を管理保存しているところである。
 現在の整理済みのもので、約9000点を数えると云われている。
尚、ここは宮内庁の管轄なので、国宝とか重文とかの指定はないそうである。
 正倉院の西側は東大寺への西の出入り口である国宝転害門(てがいもん)である。
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この転害門は、平重衡の南都焼討や松永久秀vs三好・筒井らの東大寺大仏殿の戦いの計2回の戦火にも焼け残った数少ない建物の1つで、天平時代の遺構とされるものである。

 転害門から退出して、奈良の町屋の間を通って駅に戻ることにした。
 途中に、江戸時代の奈良奉行所の跡地に建つ奈良女子大学がある。
正面にはかつての講堂、現在の記念館があり、重要文化財に指定されている。
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 近鉄奈良駅まで戻った。
駅は地下がメインのコンコースである。
沢山の土産物などの店が並んでいる。
 何か珍しいものをと巡った結果、「三笠」それも「口福三笠」というのを見つけた。

見た目は大きなどら焼きである。

 関西地域ではどら焼きのことを三笠と呼ぶケースがある。
それこそ、この奈良の若草山の3ピークを模した呼び名とのことである。
 一個購入してみた。
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 帰ってから開けてみると、直径は16cm、厚さは5cmほどである。
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 内部構成はどうなのかと、切ってみると、内部にには餅に包まれたこし餡の大福が入っている。
即ち、大福を粒餡でくるみ、上下にカステラ状の皮で包んだ構造である。
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 一口頂いてみると、皮の部分の食感はふわふわとしていて、良い感じである。
あんこは、粒餡、そして餅、更にはこし餡と楽しめる逸品であった。