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 南海電車高野線の金剛駅で途中下車した。
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大阪狭山市に用があったのであるが、一つ先の駅である。

 丁度、昼であったので、駅前で昼食処を探してみた。
駅舎の1階にうどん屋さんがある。
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それなりに古そうな店であるので、美味いのであろう。
躊躇なく入ってみた。

 店の名は「NKうどん」という看板が上がっている。
店の中へ入ってみると、ほぼ客が満杯である。
お一人さん用の中央の長テーブルに何とか席を確保できた。そして注文である。
メニューを見てみる。
このような場合は、珍しいものを見つけるのが常道である。

 「おかめ うどん・そば」というのがあった。
その他のメニューは知っているものばかりである。
良くは分からないが、今回は「おかめそば」で注文したのであった。
客は多いのに出てくるのは早かった。
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いろんな具が乗せられている。
ワカメ、玉子の出汁巻、蒲鉾、揚げ2枚、山菜、とろろ昆布、そして刻み葱である。

 「おかめ」って、何であろうか?
後日、調べてみた。

 色んな具を乗せて、「おかめ」の顔を表現したものだそうで、発祥は江戸関東の洒落だそうである。

今回の「おかめそば」は、「おかめ」の顔だったのであろうか?
検証してみた。

 ワカメは「髪の毛」なのであろう。
そうすると蒲鉾は「口」で間違いがない。
出汁巻は「目」か「鼻」?
揚げは「ほっぺ」?
多少の疑問は残るが、おかめの顔を意識した盛り付けになっているとの結論であった。
 しかしこのそば、出汁が美味い。
昆布、節が効いている。
最後まで美味しく頂いたのであった。
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 ついでに探索である。

金剛駅の西側は小山である。
その山麓に式内社大社「狭山神社」が鎮座している。
更に狭山神社には同じく式内社大社の「狭山堤神社」が境内社として祀られている。

 神社へは直接は行けないので、回り込んで訪れてみた。

大鳥居から参道が府道を横断して延びている。

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到達したところが、狭山神社の境内である。

 先ずは狭山神社の拝殿、本殿が祀られている。
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狭山神社の創建は崇神天皇の勅願によると云われ、国史の最初から社名が記されている神社で、狭山連の祖神を祀ったとされている。
そして、その後、近隣の神社が合祀され、現在の祭神は、天照大神、素盞嗚尊、配祀は、臣狭山命、天児屋根命、大山祇神、稲田姫命である。

本殿の左横に「狭山堤神社」が鎮座している。
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 狭山堤神社は、日本最古の溜池である「狭山池」の開発の功労者である入色入彦(いにしきいりひこ)命を祀った神社である。
 元々は狭山池の東に鎮座していたが、狭山池周辺の開発により、狭山神社の境内に遷座されたものである。
尚、入色入彦命は五十瓊敷入彦命とも表記され、崇神天皇の皇子で景行天皇の兄である。
 こうなると、狭山池を訪れて見ないわけにはいかない。
 狭山池は神社の北方6~700mの所にある。
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かつては、池の傍に「さやま遊園」と云う遊園地があったが、今はない。

 狭山池は日本最古の溜池と云われ、この池の畔にあった狭山堤神社の祭神である入色入彦命が開拓の指揮を執ったものである。
遊園地は無い代わりに、遊歩道が整備され、地域の人々の憩いの場や、ウオーキングの場となっている。
 もう一つのついでである。
池の北東に江戸時代の狭山藩陣屋跡がある。
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 狭山藩は北条氏主家の北条氏直のいとこの北条氏盛が立藩したものである。
ご存じのように北条氏は、豊臣秀吉の小田原征伐にて破れ、主家の氏直は高野山への蟄居を命ぜられたが、ほどなく亡くなったため主家は途絶え、叔父の氏規が北条氏主家を継ぎ、その跡を嫡子の氏盛が継いだということになっている。
 あの関東の雄の北条氏の流れが、ここ狭山で引き継がれていたのである。