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 千葉県の北端域を成田市を経由して東西に走るJR成田線に「佐原駅」がある。
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佐原の街並みは、ご存知のように関東地区で一早く重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されたところである。

 今回はこの佐原の重伝建の街並みを訪ねると共に、何か特徴のあるものを食べてみようと、途中下車したのであった。
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 佐原の重伝建の建物群は、駅から少し歩いた南東方向にある。
その地域は、佐原の街を南北に流れる小野川と、東西に通る香取街道の交差点「忠敬橋」を中心に、川沿い、道沿いに広がっている。
 この場所は、江戸時代には、東北地方の物資が水路にて利根川に入り、その支流の小野川畔に荷揚げされ、街道を江戸へ運ぶと云う集積地となった。
街は栄え、多くの酒蔵などが発祥したと云われている。

 のこ街の中心の忠敬橋とは、その名付が伊能忠敬に因むものである。

忠敬橋から東南の川べりを眺めて見ると、そこには伊能忠敬の旧宅が見える。

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伊能忠敬は17歳で伊能家の養子となり、醸酒業ならびに米穀薪炭販売に精励すると共に、村政の中心として活躍した。
そして50歳で隠居をして、天文学や地理学を学び、全国を行脚し、大日本沿海輿地図を完成させたことで広く知られている。
尚、旧宅の母屋は忠敬自身が設計したものと云われている。
伊能邸は国指定の史跡で、道路を挟んで川べりには「だし」と云われる石段が設けられている。
 邸宅の前まで行き、中には入れるので入ってみる。
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 端正な座敷などの建物が幾つか見られる。
 庭も結構広い。
また庭には、伊能忠敬像が建立されている。
 伊能忠敬旧邸の川向うには伊能忠敬記念館がある。
そして忠敬橋まで戻ると、中村屋商店がある。
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 今度は川沿いを北へと行くと、旧油惣商店などが並んでいる。
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 次は香取街道沿いである。
忠敬橋から東へ行くと、レンガ造りの建物がある。
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旧三菱銀行佐原支店で、イギリスより輸入したレンガを使った2階建ての大正期の洋館建築で、三菱館と云う。

 そろそろ昼である。
食べ物屋さんはそう多くは無いが、4~5軒に1軒くらいの割で何かある。
その中にうなぎ屋が目立つ。水郷の街佐原ならではであろう。
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 そのうなぎ屋が、三菱館の斜め前にあった。
「元祖すずめ焼 AS屋」という。

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暖簾を潜ると右手が調理場である。
その細い空間を奥へ行くと、テーブルが7~8脚並んだ食事処があった。

 メニューはうなぎの種類ばかりであるが、その中から値段手ごろな「うな丼定食」を選んだ。
 注文を受けてから、焼くのであろう。
30分位か、かなりな時間待たされて、やっと出てきた。
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 待ってる間に、ネットで調べてみると、すずめ焼とは、小鮒など川で採れる小魚を背開きにして串に刺し、醤油ベースの合わせダレをつけて焼いた料理の総称だそうである。
昔、ある殿様が狩りに出て、河原で焼いた小鮒をすずめを焼いたものと勘違いしたという説や、小鮒を背から開いて串に刺して焼いた形が小枝にとまっているすずめの形に似ている、ということから名が起こったと云う説があるそうである。

 兎に角、頂いてみよう。

うなぎは、柔らかく、ふっくら。
タレも、濃すぎず、淡すぎず、満足のできる味である。

 付け合わせの冷奴、そして芋の羊羹のようなもの、一時の清涼剤である。
ワカメのすまし汁、蕪の漬物もそれなりに満足である。
 しかし、うなぎの量が少ないのが残念で「やはりうな重が良かったかな」と反省した次第であった。
 尚、この店、江戸天保年間の創業で。200年近く暖簾を守ってきているとのことである。
伝統の味を頂いたことで満足し、店を後にしたのであった。香取街道を東へ進むと、八坂神社があるとのことである。
食後の散歩で訪れてみた。

 街道に面した正面には石の鳥居、そして参道を進むと立派な拝本殿が鎮座していた。
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 素戔嗚尊を祀る神社である。
毎年7月と10月には、それぞれ夏祭り、秋祭りが開催され、大人形を乗せた山車を引き回すとのことである。
隣にその山車会館もあった。
 お参りを済ませ、佐原の探索を終了したのであった。