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 大阪市営地下鉄の御堂筋線の「なんば駅」から一つ南の「大国町駅」で途中下車した。
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大国町はあまり馴染みのないところであるが、駅の両側に「えべっさん」「だいこくさん」がある街として知られている。
 そのえべっさんであるが、駅を東へ行って南海電車のガードを潜った所に鎮座している。
この間、200~300mぐらいである。
 だいこくさんは、駅の出口を出て北へ50m程の敷津松之宮神社内に社殿を構えている。
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昔から、「木津のだいこくさん」と呼ばれていが、このだいこくさんは比較的新しく、江戸時代の中期に、出雲大社を勧請して摂社の大国主神社が建てられたものである。
それ以来、今宮のえべっさんと木津のだいこくさんと並び称され、参拝の多い神社となっている。

 またえべっさんには戎橋の由来があるが、だいこくさんには道頓堀川に架かる大黒橋の由来がある。

尚、本社の敷津松之宮の創建は古く、神功皇后が三韓征伐の帰路後の凱旋の折り、敷津浜を航行した時、武内宿禰が荒磯の岸に波がうち寄せるのを見て、ここを境として潮満ち寄すことなかれと、渚に松の木3本を植えて、その木の下に素盞嗚尊を祀ったのがこの神社と云われる。

 敷島松之宮の北に、難波八阪神社が鎮座している。
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この神社は古来「難波下の宮」と云われ難波一帯の産土神であったが、平安時代の終り頃の後三条天皇の治世に以来、祇園牛頭天王(ごずてんのう、素盞嗚尊)を勧請した神社として知られるようになった。

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この神社の圧巻は獅子舞台である。
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綱引き神事など各種神事に活用される舞台である。

 もう一つこの神社の境内社に篠山神社が祀られている。
 篠山神社は、16年もの間、大坂代官を務めた篠山十兵衛景義を祀る神社である。
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 篠山公は、難波や木津に青物市場の設立を幕府に願い出て、見事実現した代官である。
この地域の住民からは、市場の恩人として尊敬され、それが神社となって祀られているものである。
その市場は、現在も木津卸売市場として継承されている。
 その木津卸売市場は代官が尽力し、市場として認められた時は、だいこくさんの北西側にあり、戦前までその場所で営業されていたと云われる。

 その後、大国町駅の東の現在地に移転し、戦時中は一時廃場となったこともあるが、戦後、旧市場関係者有志により完全民営の卸売市場として再開場され、現在の建物は6年前に完全リニューアルされたものとなっている。

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 その木津市場へと行ってみる。
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なるほど新しい建物である。
卸売市場もこのように綺麗にされていると、食材もより新鮮に見え、購買意欲も啜るものであろう。

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 市場にはそれに付随した市場食堂がある筈である。
探すまでもなく西面に幾つかの食堂が並んでいる。
表のメニューを見てみると、細かい話であるが、結構な値段である。
それなりに美味いのであろうが、ここはB級グルメに徹し、パスすることにした。
 そして来るときに見かけた駅のすぐ横の「YN家」まで戻ったのであった。
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YN家の通常メニューでは面白くない。
なので、表に「黒カレー」の幟があるのを思い出したからでもある。

 店に入ってみた。
YN屋にしては広い店である。
真ん中に大テーブルのカウンター、厨房の所に一列のカウンター、そして周辺にテーブルが配置されている。
空いていたのでテーブルの一つに腰を掛け、さて注文である。
 黒カレーにはトッピングに幾つもの選択肢がある。
迷った挙句、納豆を乗せてみることにし、納豆黒カレーを注文したのであった。
 「早い、安い、うまい」のキャッチフレーズのYN家なので、出てくるのは早い。
カレーと納豆は別々に出てきた。納豆はパックのままである。
仕方がないので、パックを開けて良く混ぜ、カレーの上に乗せたのであった。
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 さあ、頂いてみよう。
 カレーは全くの黒ではない。
濃い茶色と云った感じである。
以前食べた博多の黒カレーは真っ黒で、多少の抵抗はあったが、これなら抵抗はない。
 納豆とルウを部分的に軽く混ぜながら、ご飯と合わせて食べてみる。
少しはまろやかになるが、やはり混合物である。
納豆の味、カレーの味が夫々主張されていて、美味く溶け合わない。もっと思い切り混ぜてみると良いのかも知れないが、グチャグチャにするのは好まないので、ここらが限度である。
カレーライスの納豆乗せで我慢したのであった。
 カレーが黒くなるのは、タマネギの処理の仕方であろうが、その甘さを感じたYN家の黒カレーであった。