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 この時期の旬のものは云わずと知れた筍である。
筍と云えば、山城の筍、それも長岡京市や向日市の竹薮で採れるたけのこが逸品である。
 その筍を食べてみようと、阪急電車京都線の長岡天神駅で下車した。
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駅前には観光案内所があったので、それを訪ねてみた。
「筍が食べられる店はありませんか?」
「ありますよ。K亭とかですが…」
「それは知ってますが、今回は安く食べられるところを探しています」
「それなら、駅に沿って行ったところの突き当りに、TR屋がありますが…」
「行ってみます。有難うございました」

 このようなことで、駅の南のTR屋に向かったのであった。

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行ってみて分かったが、TR屋の前の東西の道は「天神通り」と云う。

 東のJR長岡京駅から西の長岡天満宮へと繋がる道である。
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 TR屋の店頭には朝堀りの「白子たけのこ」が並べられ、販売されている。
「白子たけのこ」は、この辺りの粘土質の土壌と、農家の方の入念な作業によって生み出されるブランドである。
もともと高価なものであるが、更に今年は不作だそうで、庶民の口にはほど遠い値段である。
 それはそれとして、店内に入った。
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店内は、調理場を囲むカウンターとテーブル数席の店である。
5割位の客で、カウンターに腰掛け、「筍ごはんセット」を頼んだのであった。

 待ってる間には、店の人と客との会話が聞こえてくる。
主として常連さんや近所の方の様な感じである。
たけのこ料理目当ての観光客は、恐らくは有名店へ行くのであろう…。
 そうこうしている内に筍ごはんセットが出てきた。
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本命の筍ごはんには木の芽が乗せられている。
吸い物の具はワカメと筍、それに小鉢が筍の山椒煮、そして香の物である。

 さあ頂いてみよう。
 先ずは筍ごはん、筍の感触とほんのりの薄味の上品なご飯である。
吸い物は少しの濃い味がする。
そして山椒煮は、山椒がピリッと効いた濃い味である。
 三角食べと云うのであろうか、濃淡取り混ぜ、バランスよく美味しく味わうことが出来、今年の筍に満足したのであった。
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 さて、少し探索を…。
前回、長岡に来たときは天満宮に行ったので、今回は天満宮の方向とは反対へ、天神通りを辿ってみる。
 暫く行くとJR長岡京の駅が見えてくる。
駅の手前で西国街道と交差している。
その西国街道を南へと、石畳の道を進む。
 古い町家や新しい家屋が混在している。
右手に町家を活用した「神足ふれあい町家」もある。
 街道が突き当り、斜め右へ折れるが、道を左へと取りJRの高架橋を潜り住宅街の間を抜けると公園に到着する。
 勝竜寺城公園である。
江戸初期まであった勝竜寺城の跡地を公園化し、城の建物も一部再現されている所である。堀を渡り、裏門から入ってみる。

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 塀の中はかつての本丸であるが、綺麗に整備された庭園となっている。
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 勝竜寺城は、戦国時代の初期、山城守護であった畠山義就が郡代役所として築城したと云われている。
その後、三好三人衆が支配する城となったが、将軍足利義昭を奉じて上洛する織田信長に滅ぼされ、その後は、細川藤孝に山城西岡一帯が与えられ、藤孝は勝竜寺城主となり、二重の堀を持つ城に改修したと云われている。
 そして、藤孝の息子である細川忠興がこの城で明智光秀の娘の玉と結婚式を挙げて、新婚時代を過ごしたことで良く知られている。
その、夫婦の像も設けられている。

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その後、信長が本能寺事件にて襲われ自害した後、明智光秀が京都へ攻め上る羽柴秀吉軍を迎え撃つべく、この城を陣所にして戦った天王山の戦いで敗れたことも良く知られている。

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 その後、勝竜寺城は、秀吉が淀君を住まわすための淀古城を築く時に、石垣などを持ち出し、荒廃したと云われている。
江戸時代になって、永井氏が長岡藩主になったが、直ぐに高槻藩に改易されたので、城は正式に廃城とされた、という経緯を辿っている。
 庭園を眺め、管理棟となっている建物の2回の窓から天王山を眺め、正門から退出した。
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束の間の城跡見物であった。