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 山形県山形市のJR仙山線の山寺駅で下車し、松尾芭蕉翁の「奥の細道」で良く知られる「立石寺」に参拝することにした。
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立石寺は標高200m程度の立谷川の門前から、山の上の方400m強の高いところまで沢山のお堂が配置されたいわゆる山寺である。
駅から山を見上げると、上の方にいくつかのお堂が散見される。

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 この立石寺は京都比叡山の延暦寺を本山とする天台宗の寺院である。
みちのくへの布教を狙い、慈覚大師円仁が平安時代の初期に開祖したものである。
 寺院としての長い歴史がある。
その一つに、戦国時代、織田信長の延暦寺を焼き討ちのあと、延暦寺再建の不滅の法灯は、この立石寺に分灯されていた法灯から、元の延暦寺へ分灯され、不滅の法灯は絶えなかったという謂れがある。
 立石寺の不滅の法灯は本堂である根本中堂の中に灯されている。
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拝観できるので見せてもらったが、灯篭の中で明々と灯っていることを確認した。

 また「油断」とは、この不滅の法灯から発せられた言葉である。
 山岳部へは根本中堂の西の芭蕉翁の句碑の前を過ぎ、日枝神社、、芭蕉翁・曾良の像、鐘楼などを過ぎた山門から登ることになる。
参道階段の途中には、地獄と極楽の境界の姥堂(うばどう)、芭蕉翁の句の短冊を埋めた蝉塚、岩に刻まれた弥陀洞(みだほら)などが祀られ、堂々たる仁王門に到着すると約半分の行程が終了である。
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 仁王門から上には、4つの子院、岩の上の納経堂、開山堂、五大堂など多彩なお堂設けられている。
重機や道などがない古代にこのようなお堂が建築されたというのは、いつも驚きである。
 また、一般人は入れない修行僧のみの道やお堂も見られる。
入り口には通行止めの立て札が立てられている。
 更に登ると、山形藩の初代藩主最上義光(よしあき)公の御霊所を過ぎ、もうひと登りで奥の院に達する。
 奥の院には大仏殿、妙法堂、そして鐘楼などがあり、しばし登山の疲れを癒しながら、ゆっくりとお参りするには絶好である。
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 参拝も終わり下山し、さて昼食である。
立石寺の門前には「板そば」という蕎麦料理があると云う。
 門前の店でそれを食してみようと観光案内所を訪れ、板そばの店を聞いてみた。
蕎麦の専門店は何店かあるとのことであるが、どれがお薦めとは云ってくれないのが観光案内所である。
地図が渡されたので、自力で行ってみることにした。
 案内所のすぐ近くに1軒の店がある。
透けて見える表戸から中の雰囲気がわかる。
客は多そうである。
 今度は、少し遠いが、立石寺本坊の更に西にある蕎麦屋を見てみようと歩いた。
店の横に瀧不動尊が祀られていて、店の屋号もその不動尊に因んでいるいる様である。
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 店の前に駐車場があるが、車が止まっていない。
人気のない店なのかな?と思いつつ、暖簾を潜ってみた。客はゼロ。
どこでもOKのようなので、庭を見ることができる一等席テーブルに腰を降ろした。
 さて注文である。
板そばには2種類ある。
「寒ざらしそば」の板そばと「田舎そば」の板そばである。
 違いが判らないので、安い方「田舎」でお願いした。
それでも普通のそばの1.5倍の値段である。
写真では結構量が多そうなので納得であるが、食べられるかどうか?別の心配もある。
 10分ぐらい待ったであろうか? 板そばが出てきた。
 かつて、新潟で「へぎそば」というのを食べたことがあるが、同じような木箱に盛られたスタイルである。
新潟の方は、きれいに整列して並べられているが、こちらはざるそばのようなランダムさである。さあ、いただいてみよう。
先ずそばだけを食べてみる。少し堅めで噛み応えありである。
次は出汁に浸してであるが、出汁は普通で、濃厚でもない。
総じて、堅めの普通のそばを食べているという感じである。
 味には納得はできなかったが、量には納得はできた。
そして山形の郷土料理を食したとのことで満足をしつつそば湯も頂き、店を後にしたのであった。
 蛇足であるが板そばとは、大きな木箱に盛られた田舎そばを、複数で分け合って食べる料理とのことである。
そして一緒に食べた人と仕事や人間関係が、こぼれ落ちる「ざる」ではなく、早く「板」に付きますようにと願うのがその起こりと云われている。