1
大阪地下鉄の東梅田駅は御堂筋の地下にある駅であるが、その東側は曽根崎と云う繁華街である。
そしてその歓楽街の中に「露天神社」が鎮座している。
イメージ 1

菅原道真公ゆかりの神社で、参拝者が絶えないところである。

 平安時代、宇多天皇に重用された菅原道真公は右大臣まで昇り詰めたが、左大臣藤原時平の謀略にて九州大宰府へ左遷され、そこで没した。
道真公は大宰府へ左遷される途中、この西の福島にて船泊りし、この地の東にある嵯峨天皇や源融ゆかりの太融寺を訪れたと云われる。
 そしてこの地には、当時難波八十島祭に由来する神社があり、この地にて、
「露と散る 涙に袖は 朽ちにけり 都のことを 思い出ずれば」
という歌を詠んだ。
 その歌がきっかけとなって、道真公の死後は、道真公を祀る神社が創建され、露天神社と称されるようになったと云う経緯がある。
 神社は南からの正面表参道がある。
又、西からは横参道、そして北や南からも通路があり、四方から参詣できる神社である。
イメージ 2
 正面は拝殿である。
イメージ 3
 また拝殿の両側には、左近の桜、右近の橘もある。
イメージ 4
イメージ 5
 しかしこの神社は「お初天神」としての方がよく知られている。
それは近松門左衛門の人形浄瑠璃「曾根崎心中」の舞台だからである。
 その物語はこうである。
内本町の油屋平野屋の手代徳兵衛と、堂島遊郭の遊女お初は恋仲になっていた。
悪党の九平次に金を騙し取られた徳兵衛は、いよい最後とお初の遊郭に現われ、心中道行の場面となる。
 近松の名調子は、
「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ
あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなりー」
 時は午前4時、人目に付かぬように北側を大きく迂回、今の大阪駅の辺りの荒地のぬかるみの中を手を取り合って露天神目指したのであった。
神社の森へ到着した二人は、心中の場面を迎えた。
イメージ 6
 この浄瑠璃、その時まで時代物主流の浄瑠璃を、世話物という新しい世界に変革する力となった。
そして露天神社はお初天神と呼ばれるようになったのである。
 余談であるが、先の戦争の終戦近くに、米軍機グラマンの機銃掃射を受けた弾痕が拝殿前の石柱に残されている。
イメージ 7
              2
 曽根崎から少し東へ行ってみる。
新御堂筋を越えて北東方向へ行くと、道真公がお参りしたと云う太融寺がある。
イメージ 8

新西国三十三ヵ所の寺院で、現在では大坂の陣の淀君の墓があることで良く知られている。

 少し早いが昼食時である。
太融寺の近辺で、食事処を探してみることにした。
というよりも、太融寺までの道のりの中間辺りでラーメン屋を見つけていたので、そこまで戻ることにした。
 店は「揚子江ラーメンRK」と云う。
イメージ 9
 揚子江ラーメンは大阪に幾つかの店があり、気になっていた店である。
 ガラス戸を開けて入ってみた。
奥行きのある長いカウンターの店である。少しのテーブル席もある。
カウンターに腰を降ろし、さて注文である。
 メニューを見てみると、ラーメン、チャーシューメンの麺類がズラッと並んでいる。
ご飯物や一品物も充実している。
完璧な中華料理の店である。
 とにかくラーメンを食べたかったので、メニュー先頭の「ラーメン」を注文したのであった。
 開店からあまり時間は経っていないようである。
何やかやの準備もあるようであるがそれはそれ、5分ぐらいしてラーメンが出てきた。
 緑色のトッピングは春菊である。
このようなラーメンは初めてである。
 スープは薄そうである。
その分麺も細い。
味はどうであろうか? さあ頂いてみよう。
 塩ラーメンの様であるが、塩辛くはない。
どちらかと云うと、焼き飯なんかのお供に出てくるスープの味に似たりである。
 優しい味で、麺の細さがよく合う。
春菊はどうなのかと思っていたが、意外と合うものである。
 モヤシもアッサリとラーメンに味を添えている。
チャーシューは結構な量が乗せられているが、これも麺の合間に食べても齟齬をきたさない。
 トータルとして、こんなアッサリラーメンもあるんだと云う実感で、印象深くした次第であった。