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 安芸の国の広島の名物料理と云えば、広島お好み焼、牡蠣料理、宮島のあなご飯、それにもみじ饅頭などが知られるが、やはりラードの香りがする広島ラーメンであろう。
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 広島駅で途中下車したので、とりあえず昼にしようと、広島ラーメンの店を探した。
以前訪問した時、駅から近いところにある広島藩藩主庭園の縮景園に行く道路脇にラーメン屋があって、広島ラーメンの神髄に触れたような気になっていたが、今回その場所にはそのラーメン屋が見当たらなかった。
 行きつ戻りつ探してみるが見当たらない。
もう閉店してしまったのであろう。
諦めて、他の店を探すことにした。
 駅に戻る方向で探してみる。
高架道路の下に、「駅前れんが通り商店街」と云うのがあった。
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その高架下にラーメンを食べさせてくれそうな店がいくつかあった。
そのうちの一番古そうな店、「SH」に入ったのであった。

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 店は逆L字型のカウンターの店である。
客は誰もいない。
これは好都合である。
ラーメンを注文した途端に一人入ってきて、その客もラーメンを注文した。
 待つこと3分位、特急でラーメンが出て来た。
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スープは豚骨鶏ガラ出汁の醤油色をしているが、その量は少なめである。
具はチャーシュー、メンマ、刻み葱である。
麺はストレートの中細麺、期待できそうである。

 さあ、頂いてみよう。
 先ずは、スープ。
ラードの味に期待である。
少し薄いようであるが、しっかりとしたラード味がする。
納得の広島ラーメンである。
 後は黙々と頂くのみ。
そう量が多くなかったので、瞬く間に完食となったのであった。
久しぶりに頂いた広島ラーメン、満足の一品であった。
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 ラーメンの後は、先ずは宿景園の訪問である。
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縮景園は、関ケ原の後の広島藩初代藩主浅野長晟が命じて作らせた藩主庭園が始まりである。
作庭は家老の上田宗箇によるものであるが、その後、京都庭師の清水七郎右衛門による改修が行われたと云われている。
しかし原子爆弾投下により荒廃し、その後に再建されたものが現在の姿である。

 縮景園の南には、広島城址がある。
元々は毛利輝元が太田川の三角州に築いた城である。
その後入城した福島正則が改修・増築したと云われる。
その後、広島藩浅野家の居城となり、明治時代になって日清や日露戦争の時の日本軍の大本営となったが、昭和になって米軍の原爆投下によって倒壊し、再建されたものである。

東の裏御門より入城して、天守閣を眺め、二ノ丸跡の周囲にある太鼓櫓、多門櫓、平櫓を眺め、表御門より御門橋を渡り、退出となった。

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 広島城は、名古屋城、岡山城と共に日本三大平城に数えられ、また日本100名城の一つに選定されているものである。
 広島城の南に、原爆ドームがあり、そのドームの東南方向160mの上空600mで原爆が炸裂した爆心地がある。
ドームを眺め、太田川の分流の元安川に架かる元安橋を渡ると平和記念公園の中へと入る。
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この辺りは、敬虔な気持ちとなる場所である。

 橋を渡った所に折り鶴を掲げた「原爆の子の像」がある。
 周りには、数多くの千羽鶴が掲げられている。
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 この像は被爆した少女が、鶴を千羽折れば治ると信じ折り続けながら亡くなったのを悲しみ、原爆で亡くなった全ての子供たちの霊を慰めるものとして設立されたものである。
 像の南に平和の灯、平和の池がある。
その畔を辿ると家型ハニワを模した「原爆死没者慰霊碑」がある。

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碑の中央には原爆で犠牲となった人々の名簿や、不詳の人々が納められている。
その名簿に雨が掛からぬようにとの配慮から、家型としたとのことである。

 また、慰霊碑を通して、原爆ドームが見える様になっているのは、お決まりの形である。
 その南は平和記念資料館である。
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原爆投下の高温で融けた物品などが展示され、原爆の恐ろしさを物語るところである。

 戦時中、沖縄戦での市民の殺戮や、日本の各都市への米軍による本土都市への爆撃により、多くの市民が犠牲となった。
半年以上も好きなようにされ、有効な対抗手段もないまま広島・長崎への原爆投下となった。
 何をか云わんやである。